日本明慧
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神韻の促進に力を注ぎ、師を手伝って幅広く人を救う(一)


文/北京の大法弟子

(明慧日本)毎年の神韻公演は、すべて大陸の民衆に遥かに望まれ期待されており、縁があって神韻公演を観た人は、みなその深い内包と見事な技巧に感服し、彼らは出演の中から慈悲のエネルギーと力強く揺り動かすことをも感じて、更に人生の光明と望みを見て何度鑑賞しても言い表せない涙を流した。それは心の深いところの感銘で、生命の長い流れの帰路の道のりである。

  従兄は農村にいて、昨年家に帰った時、私はついでに彼に2008年神韻公演のディスクをひとまとまり持って行った。実は、公演のディスクはとっくにあったのだが、彼は農村にいて、文化水準が高くなく、しかもふだんは畑仕事がわりに多く、農作業は多忙で、たとえ彼にディスクをあげても、このような高遠で世界トップクラスの盛会を、彼は観るとは限らないという自分の観念から、 何度も家に帰ることはあっても、ずっとこの事を心においていなかった。

  年明けに私が再び家に帰ったとき、彼はすぐに私を探し当て、私は彼に、「公演のディスクを見ましたか」と尋ねると、彼は、「私だけでなく、家族全員すべて見ました。私が先ほど家を出る時また観ていました」と言った。私は彼に、「どうでしたか?」と聞くと、彼は直接私の質問に答えず、私に、「この公演はとっくに来ているでしょう」というので、私は、「え!」と言った。「あなたは私たちが観ることができないと思っているのではないか?」このひと言は私の痛いところと突き、多少やましくて黙っていたが、彼も何も言わず、しばらくして彼は、「神韻の創始者にとても感謝します。神韻に対する感銘を言うなら、どんな言葉で表現すればよいか考えつきませんが、一言で言うと、本当に神聖で、本当にすばらしく、本当によかったです!」と彼は感動して言った。

  彼の話を聞いて、私は元からあった気がかりを取り除き、固有の先入観を一掃した。私は、「神韻芸術団は、海外の法輪功修煉者である芸術家から構成されたもので、公演は私たち中華民族の伝統文化を再現し発揚していて、内容はすべて純正、純美であり、広く世間の人から歓迎されています。世界ツアーの中で、人々はすべて相争って神韻の立派な風采を目のあたりにします。高品位の神韻公演は、海外にも人気があって、国際的に名を挙げました。神韻芸術団は今年約300回の公演をして、世界80の都市を巡回します」と話した。

  従兄は私を眺めて、「神韻公演は今まで私が観た最も美しくて最もよい公演で、めったに観ることは出来ず、本当に普通ではありません。国外の人は現場で直接公演を観ることができて幸せですね。私たちが直ちにディスクを観ることができるのも、幸運と言えます。国外ではチケットを予約するのでしょうが、今日私もあなたに約束したい! またこのような神韻公演があれば、必ず早く私にひとまとまりのディスクを渡してください。これは国内ではいくら金を使っても簡単に入手できないもので、貴重です」と言った。

  このような「公演の注文」は、今私の手元にすでに多くあり、その大半は自ら過去数年来の神韻公演を観たことがある者、あるいは真相資料の中で神韻に対する紹介を見た者である。彼らは神韻を理解し、感服して、特に広くて深い神韻の公演に注目する。縁があってこの公演を観た人は、すべて次のような素朴な言葉でしきりに称賛した。「このような公演は、内容が純正で、芸術は精巧で美しく、中華民族の伝統文化に恥じない」、「源流を遡るなら神韻のみ頼らざる、大衆の迎え望むは人心を正すこと」、「神韻は福を届けて、観るほど観たくなり、観るほど見どころが出て来る」、「党文化を取り除いて、正統な文化に回帰し、真相を理解することは助かる望み」、「神韻に感謝。法輪功の創始者に感謝」等々。

 (つづく)

  2009年2月4日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/29/194443.html