日本明慧
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神韻の促進に力を注ぎ、師を手伝って幅広く人を救う(二)


文/北京の大法弟子

(明慧日本)事実今の大陸では、数年来の神韻公演はとっくに様々な方式を通して多くの家々に入り、衛星受信、ディスク回覧、ネットワークの封鎖を突破する等で、人々は各種の条件を利用して、神韻を観ている。年明けに私は1人の仲が良い同僚に出会って、彼に、「公演を観ましたか」と尋ねると、彼はさっぱりと、「観ました。しかもあの邪党の公演ではなくて、私が観たのは新唐人の公演の生放送で、実にすばらしかったです」と話した。どうやって観たの、と聞くと「ネットワークで観ました。神韻を観るとよい福運がやって来ます。これは真っ先に観てみたいものです」と笑って言った。

  神韻公演は、尊敬する師父が文芸の形式で広範囲の衆生を救い濟度するために導かれた芸術の盛大な響宴で、豊富な内包と深遠な境地を持ち、現代の変異した文化に対する宏大な規正であり、新しく未来の人類文化を創始することであり、世の人々は神韻を観ることで、身に纏わり付いた共産党の悪霊を払い、その内在を大きく変化させ、彼らを救い濟度している。まさしく尊敬する師父が『2007年ニューヨーク法会での説法』の中で、「 毎回の公演はみな、こういう状況です。人々は衝撃を受けています。この空間では子供たちが演出していますが、他の空間では多くの私の法身と神は皆行なっています。(拍手)震撼力と人の変化は当時私が法を伝えたときと似ています。(拍手)ですから、人を大きく変えました」と教えられた通りである。

  私はある飲食店に1枚の神韻DVDを残した。支配人が大広間で放送を始めると、太鼓をまじえた音楽が鳴り響き大幕が開いた時、往来が盛んでにぎやかで騒がしい音は、急になくなり、すべて整然と神韻公演に向かい、私でさえ目の前でこのような光景を見て驚いて感動した。どんな番組がこのような迫力があるだろうか? どんな力が世間の人の心を打ったのか? 今回、私は涙を流しながら出て来た。私は公演の現場を連想して、更に多くの観衆、更に盛大なシーンが自然に円融し、また慈悲と壮観に満ちて、まさしく師父が『2007年ニューヨーク法会での説法』の中で、「公演を見た人はほとんど百パーセント変わりました」と説かれたようであった。従って、神韻は世間の人の正念を啓発し、返本帰真への道に導く呼びかけに、十分に力を発揮できるのである。

  神韻の公演はこの上ない主旨と内包を含有し、その上尊敬する師父が衆生を救い済度するために量り知れない慈悲と広さをもつことは言うまでもない。このような内包深く並外れている公演に直面して、私たちは師を手伝って法を正す中で、清浄な正念と心理状態で、正真正銘、誠実に幅広く神韻を伝え、世間の人を救い済度しなければならない。

  「神は法のために道を開こうとしています」(『音楽創作会での説法』)。心を働かせて神韻公演のディスクを作り、最大限に衆生の需要を満たすことは、私たちが当然しっかりと行うべき一つのとても重要なプロジェクトで、私の地区の同修たちは交流を通して、大部分が法のレベルで神韻公演のディスクの供給と広めることを重要視し、互いに円融して、手を携えて邁進している。私もその他の多くの同修と同じように、ずっと中断せずに神韻のディスクを苦心して作り、去年の1年間だけで2千枚あまりの神韻DVDを書き込み、衆生の救い済度のために、大法弟子のするべき事をした。

  今農村と都会を問わず、特に大小の都会の各家庭ではVCDやDVDプレーヤーはかなり普及しており、パソコンの保有量も日に日に増えて、世間のすべてが法のためにあり、法のために用いられている。ここで私たちはすべての機縁をしっかりとつかんで捉え、更に多くの精巧で美しい神韻ディスクを作り、更に多くの衆生を救い済度することを望んでいる。

  以上は個人の体得で、不十分なところは、ご指摘願います。

 (終)

  2009年2月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/29/194443.html