日本明慧
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「新年の祝賀」に執着する教訓


文/吉林大法弟子

(明慧日本)私の住む地域には資料点が至る所にありますが、出来たばかりの状態なので機械の故障などに対して自分でそれらを解決できず、すべて現地の技術がわかる同修にメンテナンスをしてもらっています。私は各資料点と技術役の同修間の連絡と協調を担当しています。

 旧正月の前師走の29日に、私が外出から帰ると、各資料点から届いた数台の故障した機械に気づきました。これほど多くの機械が同時に故障してしまうことに対して、私はすぐにきっとわれわれの全体に何かの問題が発生しており、我々すべての大法弟子がよく内に向って探さなければならないと目覚めました。私は内に探しながら、これらの機械を技術役の同修の家に送りました。技術を担当する同修も同じく、このような状況が発生したのは不思議で、すべて内に向って探すべきだと認識しました。

 師父の慈悲な啓示の下で、私達は交流を通してついに問題の根本を探し当てました。私達は正月前に、あまりに「新年の祝賀」に執着し過ぎて、学法、発正念、三つのことを怠っていました。正月前のしばらくの間に、私達はみな「新年の祝賀」にあくせくしており、甚だしきにいたっては常人と互いに体裁を張り合っていました。親友、兄弟姉妹と子供との団欒時に、私達は親睦の情と常人の「一家団欒の楽しみ」の中に浸り、次第に私達の神聖な使命と責任を忘れてしまい、新年を利用して縁がある世間の人に真相を説明する良い時機を逃しました。私達の怠惰、油断と執着を、慈悲の師父が見られ、私達のために心配しておられるのです! 師父の慈悲の啓示は私達を豁然と目覚めさせました。

 私達が内に向って探すことを通じて問題が分かり、それを正したら、故障が起きた機械も次第に正されて、技術役の同修の手で不思議にはやくも修理され、ある機械は甚だしきに至っては手を付けなくても正常に戻りました。実は私達が自分の執着を無くして、私達の空間場も次々に正されたため、私達が大法を実証する法器も自然に正され、修理されたことを我々は悟りました。まさに以前明慧ネットにある同修の交流文中に書いたように「心を修してから、機械を修理する」なのです!

 機械をすべて修理した後に、私はすぐ各資料点の同修に知らせました。彼らは機械をうけ取りにくる時に、私はまた彼らと切磋、交流し合って、彼らも「新年祝賀」の人心を探し当てました。実は、彼らは真相資料を正月前に急いで作れば、安心して「新年の祝賀」ができると焦りました。まさに全体がすべて「新年の祝賀」に執着する人心があるからこそ、すべての機械が故障したのです。私達の心性がまず故障して、つぎに私達の大法を実証する法器が故障してしまったのです。

 大法の修煉は厳粛なことであり、今度のことはとても深刻な教訓になりましたので、私はこの事を書き出して、同修に今後の戒めとしてこれからの道を穏やかに勇猛精進して歩むよう望んでいます。旧きを捨てて新しきを迎える歴史の時に際して、私達は早く各種の執着、人心を放下して、怠惰と油断をしないように、新年の機会を利用して親友の集まりを利用して大法の真相を説明し、大法を実証すると同時に多くの縁がある衆生を救って、私達の神聖な使命と責任を果たしましょう、私達の慈悲、偉大なる師父に新年にあたり、たくさんの安心を贈り、苦労を少なくしましょう。

  2009年2月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/1/28/194400.html