■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/02/06/mh083592.html 



私の修煉体験

文/北京の大法弟子

(明慧日本)子供の時から、私は神様を信じていました。家は伝統的な文化により神様のことをとても信じています。お正月になると、祖先、天、地、人の三才を敬っています。老人たち(例えば、私の祖母)は私たちに「人のものを盗んだり、奪ったりすることは絶対しないでください。目の前の利益としては損したけど、本当は儲けたことになるのですよ」とか、人は善良であることが求められ、良い人になる道理を教えてくれました。年寄よりたちは、悪いことをやっている子供を見ると、この子は「正しい行い」をしていないと言っていました。しかし、私は大きくなってから家にいろいろな変化があり、人生や今後の道をどうやっていけばよいのか迷ってしまいました。家を出てお坊さんになろうと思ったこともありますが、結局できませんでした。1995年、私は村の友達と北京に行きました。北京は広くて、車も多く、建物もたくさんあるという印象でした。その後、同郷の紹介で北京にある会社に就職しました。

 1997年、私は22歳でした。偶然の機会で、ある会社にコンピュータを教えに行き、一人の大法弟子と出会いました。私たちは話してみると、とても気が合いました。彼は私に大法を紹介し、私は自然に大法を始めました。その後、一気に本を読み終え、良い人になれることを教えている非常にいい本だと感じました。二回目に読んだときは、人に修煉することを教えている本だと分かり、読めば読むほど、玄妙で超常の本であると感じました。そして、この同修に煉功動作を学び、一緒に学法しました。その後、集団煉功、集団学法に参加しました。参加したとき、同修たちはみんな善良で、私はとても気分がよくて平和な気持ちでした。そのころは大体毎日煉功、学法に行っていました。

 1999年4月25日の大法の陳情のことは知らなかったため、行けませんでした。1999年7.20以降、私たちは外で数日間煉功を続けましたが、その間に煉功を止められたこともあって、その後は自分だけで家で煉功、学法しました。集団の煉功、学法する環境をなくしたため、私の修煉状態は良くなくなり、仕事探しも順調ではありませんでした。当時、テレビでは虚言の宣伝が多かったので、私はあまり見たくなくて見ませんでした。ゆえに「天安門焼身自殺」の偽りの事件も知りませんでした。学法するとき、私は、自分の主意識を強くして、人の話を聞くとすぐ自分の思想を変えることは良くないと思い、何があっても師父と大法を信じていかなければならないと悟りました。師父は「われわれの本当に意味する悟は、煉功過程における師の説いた法、道家の師が説いた道、修煉過程において自分がであった苦難などを理解できるかどうか、受け入れられるかどうか、自分が修煉者だと悟れるかどうか、修煉過程においてこの法に従って実行できるかどうか、ということです。」と『轉法輪』でおっしゃいました。ある日、用事があって、常人の友達のところへ行って、多くの人と一緒にご飯を食べました。友達が「焼身事件」の話をして、私に「まだ煉功しているか」と聞いてきたのです。私は「しているよ」と答えました。私はその場にいる人たちに「焼身事件は嘘だよ。本当に修煉する大法弟子は絶対自殺はしない」と言いました。

 その当時、同修と連絡できず、師父の経文も得られず、最初に私に大法を紹介してくれた同修も迫害されました。その同修は北京に帰ってきて、私にいくつかの経文を渡してくれて、正念を発することと大法の真相を伝えることを教えてくれました。私は師父の経文を読んで涙が出てきました。その後、ネット上で女性の同修と連絡が取れ、彼女は師父の経文を持って来てくれました。暇があるとき、彼女と一緒に真相資料を配りました。最初、真相資料を配るときはとても怖かったのですが、この恐怖心も取り除くべきと悟り、真相資料を配りながら『洪吟二』(怕ロ舍)を暗誦しました。それ以降、真相資料を配るときは平然としていて、正念も強くなりました。

 初めて真相を直接に人に伝えようとしたとき、どのように言えば良いのか分からなかったのです。法と師父の新経文を続けて学ぶことによって、真相を伝えることは衆生を救うことであり、我々大法弟子の「洪願」と「誓約」であると悟りました。また、同修が書いた真相を伝える体験の文章をいくつか読み、人に真相を伝えることができました。最初の人に真相を伝えたときの話ですが、ある日、スーパーで常人の友達と会いました。彼は「中共団員」で、彼に脱党を勧め、仮名をつけても良いと言うと、彼は同意して順調に脱党しました。私と仕事の関係がある人で脱党する人も多くいました。ある会社で管理の仕事をしていたとき、社長と話をする機会があり、社長の口から、大法の本に書かれている言葉が出てきたので、おそらく社長も大法の本も読んだことがあると思い、社長に真相を伝えました。そして社長はすぐに脱党しました。

 多くの人に大法の真相を伝えた後、脱党して、一部の人と仲良くなり、みんなが私はとても良い人だと言ってくれました。脱党した人たちは、いろいろな面で順調になっています。ある日、一人の軍人だった人に真相を伝え、彼の妻はまもなく子供を生む時期でした。病院で調べたところ3000グラムの女の子でしたが、彼が中共を脱党して数日後に子供が生まれ、彼からメールをもらいました。そのメールには「3500グラムで、望んでいた男の子が生まれた」と書いてありました。彼のお兄さんにも大法の真相を伝え、お兄さんも中共を脱党しました。正月に実家へ帰ったとき、両親に『神韻』、『九評』を見せたところ、父は「共産党は一つも良いことをやっていなかったのだね」と言いました。私が北京に戻った後、父は1匹の大蛇を殺した夢を見たそうです。

 三つのことが良くできれば、常人のことも順調になります。私は結婚し、妻も同修です。結婚するときに、常人と同じように婚姻届を出しました。師父の法像の前で、同修が婚姻の証人をしてくれて、師父にひざまずいて拝んで感謝しました。一年後、子供が生まれ、子供は元気でかわいいです。子供は普通の子供ではなく、大法小弟子であることを悟って、お腹にいるときからも一緒に学法、煉功、真相資料を配り、正念を発することをしました。

 我々は大法弟子として、絶対に三つのこと、すなわち、学法、煉功、正念を発する、真相を伝えて衆生を救い済度することを良く行わなければなりません。師父は「法を実証するという三つのことですが、一つは法を良く勉強することであり、もう一つは真相をはっきり伝えることであり、最後は正念を発することを重視することです。 これらのことを全て行うことは法を実証していることであり、皆衆生を救っていることであり、大法弟子が行うべきことです。」(『2003年旧正月十五日米国西部法会での説法)と説法されました。

 この数年間、いろいろなことがありましたが、無事今日までに歩んで来ることができました。時々、修煉の状態が悪く、関をよく乗り越えられないこともありました。とにかく、師父のご加護の下で頑張って来られました。最後の最後に師父は「話はこのくらいにしましょう。最後になって、ますますしっかり行なわねばなりません。くれぐれも怠らず、緩めず無頓着にならないようにと望んでいます。」(『ロサンゼルス市での説法』)とおっしゃいました。今後、我々は、三つのことをしっかり行い、師父と大法を信じ、勇猛精進し、「正しい念」と「正しい行い」を固め、師父が按排された道を最後まで歩き、師父について家に帰りましょう。

 2009年2月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/1/25/194106.html

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