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過去の怨讐を捨て 修煉の道を正す


文/如意

(明慧日本)同じ地区で生活している大法弟子の間で、長年、法を実証する中でよく衝突する事があります。そのため、付き合いの中で同修への恨みが生じました。一部の人は師父の『オーストラリア学習者への説法』のビデオを見てから(恨みを)放下しましたが、一部の人はまだその中に溺れています。この長年の怨讐は、厳重に同修たちの協力と、衆生を救い済度する自身の修煉を妨害しています。

 傍観者にははっきりと分かっているのですが、当事者は迷うのです。その中から出てみると、対立はさまざまで、理に適っているというその理は人間の理に過ぎず、自分の理であり、法理ではありません。法を実証し、人を救い済度すると言いながら、やはり名利心、情、利己心、嫉妬心、闘争心と自己を保護する執着心があります。もし、これらの執着を捨てたくない、あるいは保護しようとすれば、それは円満成就の道を妨害する岩なのです。それを捨てて身を軽くし、道を歩むべきです。本人がはっきり法理に従って見れば、きっと「心癡(おろ)かに戯れる中の事」(『洪吟(二)』)にほかなりません。

 時間がなく、人を救いにくい現在、大法弟子間の対立は、人を傷つけるだけでなく自分にも危害を及ぼす諸刃の剣です。なぜこれほど厳しいのでしょうか? 大法弟子は世間において大法を代表しているのですから、正しく行わなければ大法のイメージを損ね、縁のある人を大法の中に入りたくなくさせてしまい、同時に大法弟子の内部の消耗はさらに多くの同修に影響を与え、みな同修間のトラブルを解決するために、甚だしきに至ってはだれが正しいかと派閥を形成してしまいました。今これほどの大きな漏れがあるため、一部の同修は迫害されて死亡し、他の同修は労働教養を科され、刑罰を言い渡されることをもたらしました。 

 大法には基準があります。心性の対照基準もあり、修煉はとても厳粛だとすべての大法弟子は知っています。対立の中に陥ったままで、忍と善で対処しなければ、心性が落ちて、功も落ちます。「心性の高さは功の高さ、これは絶対の真理です」(『転法輪』)。師父は、天上の神たちが大法弟子のすべてを見ていると言われました。ある同修は、神たちが大法弟子の一存、一念、一挙一動を記録しているのを見たことがあります。

 師父は我々に切に期待しておられ、私達は必ず厳しく律しなければなりません。しっかりと修煉する人になり、自分の心を真に修めましょう。最後の段階になりましたので、過去の心の中の怨讐を徹底的になくしましょう。笑って怨讐に対処し、対立から超然と抜け出して、覚者の境地で自分を律しましょう。最後の道を正しましょう。対立は天上に持って行かれません。どれだけ高く修め、円満成就の基準に達するかどうかは、心性を見なければなりません。朦朧としてはいけません。「修めることは自身のことで、代われる人はなく・・」(『精進要旨』「堅定」)

 最後に、もう一つの角度から見た恩讐のことを話したいと思います。かつて、ある同修の前世は中国を侵略した日本人であり、横暴な振る舞いをして威勢を示したことを見ていたので、冗談で話しました。「あなたのその時の横暴な様子を見ると、どれだけの人を殺したでしょう」。彼は「なるほど私は真に人によく対処しているのに、よく傷つけられるわけだ」とうなずきました。輪廻の中、互いにあった怨讐は今世の因果応報になるかもしれません。修煉者のすべては偶然ではありません。ただ私たちはその原因を知らないだけです。今は、師父が我々のためにすべてを善解してくださいました。

 同修たちよ、くれぐれも師父の洪大な佛恩を大事にし、正法時期の大法弟子の名を汚してはいけません。同修たちは今日を境にして、心のその怨讐に句点を付け、明日から身軽になり、執着をなくし漏れをなくして修煉し、三つのことをしっかり行い、新宇宙の佛道神になるよう頑張りましょう。

  2009年2月23日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/16/195566.html