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師父が長春で説法された日々の思い出(二)

 (明慧日本)

  三、大連の報告会に参加する

  1994年12月31日、師父は国内での最後の説法——大連報告会に参加されました。場所は大連体育館です。参加者は大勢いました。およそ6千人前後でした。他にもたくさんの参加希望者がいましたが、満員のため、入場できませんでした。師父は広州での第5回の講習会を終えられたばかりで、旅の疲れもまだ取れておられないのに、大連の会場へ駆けつけてこられました。あの日は冷え込んでいて、雪混じりの小雨が降っていました。

  私は早く会場に着きましたが、何処へも行きたくなく、門の外で師父がみえるまで待つことにしました、周りに交流する人もいれば、煉功する人もいました。しばらく待っていると入場時間になりました。入場者は大勢でしたが、皆は秩序正しく入場し、広い体育館は直ちに満員になりました。偉大な師父が会場におみえになり、全会場の人(6千人)は揃ってさっと立ち上がり、雷鳴のような拍手で遥々とやってこられた師父を歓迎しました。師父は両手で皆さんに席に戻るようと合図されました、そのとき、会場にいる全員の視線が師父に集まり、師父は薄着でいらして、皮製のサンダルをお履きになっておられました、殆ど冬の装いの私たちには瞬時、師父の苦労が伝わって胸が痛くなりました。師父を見るのはしのびないのと精進できない自分が師父の艱難な済度に面目がない思いで複雑な胸中となり、辛くて泣きそうでした、そばにいた誰かが泣き出しました、泣いていた男性学習者もいました、誰も声を出さずに、師父の講法の邪魔にならないように泣き声を押さえました。その日もっていたティッシュペーパーを使いきりました。講法の間、師父はまた皆の身体を浄化してくださいました、師父が病気をもっていない人は自分の家族を思い出してくださいとおっしゃいましたので、自分はもう病気を持っていないと思い、主人は前、重い水を運んだ時に腰を怪我したことを思い出すと、師父が浄化してくださいました。

  最後、終了のとき、師父は学習者たちに大蓮華手印を行われました。学習者の考えは師父が全部知っておられ、旅の疲労を耐えられ、両手を高く上げられた師父がまだ自分のことを知らない学習者にも知ってもらうため、会場を一周回られ、場内の学習者にあいさつされました。あの時のエネルギー場はあんなにも強く、私の目は涙で曇りました。再び、場内の学習者全員は起立し、熱烈な拍手を送って、偉大なる師尊への敬意を表しました。師父は近くまで歩いて来られ、私は急いで手で涙を拭き、はっきりともっと良く我らの心から愛し、心から敬慕する師父をもう一目を見たいと思いました。見えました! 師父の目が見えました、師父も私を見ておられました。私の席は上の階にあり、師父から結構離れていましたが、はっきりと見えまして、師父が直近におられるように感じました。しかも、師父の目に会った時に、時間はしばらく留まったようと感じ、なぜなのかは今になって、やっと分かりました。

  あの時の場面は実に感動的でした、場内の学習者はずっと力一杯拍手して、師父が会場から離れることを名残惜しみました。私は両手を合掌して、師父が会場から離れられるのを見送りました。大勢の人は目を赤くして会場を出ました。電車に乗った時、多くの人が自分は師父を見た、師父も自分を見ておられたと嬉しそうに話し、私と同じ感じでした。師父は回られただけで、皆が師父の目と会い、しかもある程度、師父の目線が滞在されたとすれば、六千人あまりの人もいる場合は不可能ではないでしょうか。あれは佛法無辺であり、師父の佛法神通は万能であることが今になって分かりました!

  ここで、魔の首魁は師父と大法のことを嫉み、大法が広く伝わり、大勢の人が大法を学び、師父を敬慕することに耐えられず、嫉妬から弾圧に固執しました、この弾圧は歴史上最も残酷、最も理不尽、最も邪悪な迫害となりました。この悪者はどうやって大法弟子が師父に対するご恩に深く感じる気持ちを理解できるのでしょうか、また、どうやって大法弟子は師父に対してこの上なく敬う理由がわかるでしょうか。

  多年の修煉を通じ、高い次元の天体と穹窿の法理や、法を正す原因を師父に教えられたことを通じて、法輪大法がこの無量な大穹のすべての生命、物質を創造したことが分かりました。我らの師父は万王之王です。師父が法を正されるため、このすべてを救われました。この9年も及んだ迫害の中で、このようなことを実感しました、迫害の当初、すべての天体の旧勢力、邪悪が三界に押し付けた業力を受けいれられたのは師父でした。でなければ、三界はとっくに破壊されていました。偉大な師父が全ての衆生のために与えられ、耐えられたものは計り知れません、師尊の威徳が全蒼穹を貫きました。どれだけ衆生がいれば、どれだけ師父は耐え、心配されなければなりません、全ての救われた衆生は師尊の偉大な慈悲を決して永遠に忘れません。救い済度された広大なご恩を永遠に忘れません。この広大な佛法がなければ、師尊がいなければ、この全てもありません。

  大連から戻ってきた晩に法輪を見ました、本当に感激しました、数日後にまた夢の中で七色の光の輪を見ました、とても多く、大きく、しばらくその光景が持続していました。そして、師父の法像も見ました、金色に輝き、最初の一枚から無数になった光景と他の空間の景色も見ました。このことはずっと私の励みとなり、あれから、月日がたち、自分が意気地を無くし、悲観的になり、消沈してしまうたびに、決して、師父は私を見捨てず、いろんな方法で励ましてくださいました。

  四、長春輔導員交流会に参加する

  1998年7月26日、長春シャングリ・ラホテルは厳かな雰囲気に満ちていました。偉大な師尊は会場に臨まれ、来場した学習者と輔導員に法を説かれました。

  学習者たちがもっと師父のことがはっきりと見えるように、法を少し説かれた師父はスタッフに自分の席をもう少し高く調整するようと要求されました、準備していないため、臨時に小さい腰掛のようなものを師父の席に嵌め、師父はその上に座られ、足の乗せる場所もなく宙吊り状態で、上半身は講壇から離れておられました、考えなくてもこのような姿勢が楽でないことは分かります。このまま、師父は5時間も法を説かれ、再び、師父は私たちに、どんな時においてもまず、他人を優先にする無我無私の高尚な境界をお手本にして下さいました。でも、もっとも申し訳なく感じたのは、最初から最後まで、師父は水を一口も飲んでおられなかったことでした。

  今回の法会で師父はたくさん深遠な法理を説かれました、修煉によって出来上がった部分は隔離されることについても説かれました。学習者の様々な観念を除いておられました、執着を覆い隠すためにごまかすことや自分の執着を隠してはいけないことについても説かれました。また、どうやって法を習い、法を読み通すのか、どうすればもっと効率良く法を習得できることについても言及されました。師父はよりもっと高い、広い次元に私たちを押し上げられました。当時、皆は師父の『根を掘る』、『誰のために存在するのか』などの経文を主に学習していましたので、皆のそれぞれの質問について師父が解答してくださいました。師父の説法は私たちの思想に大きな衝撃を与えました。その時、師父の説法を聞き漏らすのではないかと皆が息を殺したように会場はしんとしていました。今回の説法は来場者の心身を共に大きく変化させたのでした。

  休憩時間に、多くの学習者は待ちきれず師父を囲みますが、中には師父がゆっくりと休息が取れるようにと師父の方へ寄らなかった人もいました。会場は狭いため、奥にいる人を譲るため一旦通路まで出なければなりません、それで私も人混みに流され、師父の前に来てしまいました。私の質問に解答された時に、師父の視線は私に向き、師父のお顔が良く見えました、師父のお顔の肌は非常にきめ細かく、艶やかで、毛穴が見えないほどでした。後に、師父の経文で、師父の本源は私たちと異なることが分かりました。弟子には何の見返りも求めず、師父はただ奉仕して、耐えて、全てを差し出されます。師父に水を差し上げた学習者もいましたが、時間の関係で、水も飲まれなかった師父は休憩を取らず、立ったまま説法され続けました。後に、大勢の学習者はこのことを知り、とても申し訳なく思い、このことを思い出すたびに胸が苦しくなると言います。

  師父は法を説かれる時、一問を解答されると、弟子たちはその度に熱烈な拍手で応えます。この拍手は、数年の修煉を経て、理論と実践の昇華により、弟子たちは師父の法に対し、良く理解でき、心の底から師父に対する無限な感激と敬慕を表したものです。この拍手は弟子たちの大法と師父に対する心からの賛美と敬服なのです! この拍手はあの場所ですべてを表す唯一の方法だと思います。

  最後、すでに5時間も経ったと師父は全員に教えましたが、でも皆はあまりにも集中していて時間のことを忘れていたようでした。その場に相応しくない質問もありました。けれども、偉大な師尊は私たちの観念と障害を取り除き、考え方を広く切り開き、みんなの上達すべきところを指摘され、導かれました。宇宙天体の異なる法理を高く、深く話された師父の故郷への愛着と慈悲を感じました。5時間でしたが、あっという間に過ぎていき、時間を長く感じた人は誰一人もいないと思います、きっともう5時間も経ったよと言われても、まだもっと聞きたいと答えるでしょう。手が痛いほど拍手しましたが、それでも師父とのお別れは名残り惜しかったです。

  いま、家にいる時にせよ、道に歩いている時にせよ、バスに乗っている時にせよ、いかなる場所でも、師尊のことを思い出すと、涙があふれてくるのを押さえきれません。千語万語も、偉大な師尊の慈悲なる救い済度に対する感激の気持ちを、人類の言葉を尽くしても言い表せません。衆生を救うため、自分の全てを費やされた、私たちの師父は本当に偉大です。私の体験はほんの僅かです。師父の功徳は全宇宙、蒼穹に満ちています。

 (完)

  2009年2月25日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/10/1/186950.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2008/10/16/101513.html