白紅遠さんは鄭州白廟労働教養所で拷問され、半身不随になった
(明慧日本)法輪功修煉者・白紅遠さんは、河南省鄭州白廟労働教養所の警察の拷問により、記憶を失い半身不随になった。2009年1月6日、警察は彼を死にそうになるまで虐待してから、家に帰らせた。
白紅遠さんは2008年11月1日に出勤途中、鄭州金水区国保大隊の警察に沙口留置場に強制連行され、白廟労働教養所に移送された。
白紅遠さんは、不法な連行に抗議して労働教養所の囚人服を着なかった。ご飯も食べないので二大隊の警察は彼に野蛮な灌食をし、さらに、8本のスタンガンで気絶するまで電撃した。そして死にそうになる前に病院に運んだ。白紅遠さんは不明な薬物を注射され、身体にはいっぱい管をつけられていた。警察は白紅遠さんの命がもう危ないと判断し、早速、家族に病院まで迎えに来させた。
2009年1月6日、家族が急いで病院に駆けつけた時には、白紅遠さんはもう瀕死の状態で、弱い息をしていた。病院側は、家族に早く彼を連れ帰ってもらいたいのに、彼の全身につけてある管を取る勇気がなく、白紅遠さんは救急室から出る前に絶対に死ぬと思っていた。それでも、警察は家族にサインを要求したが、家族は断固として断った。
家族は息絶え絶えの白紅遠さんを家に連れて帰った。数日後、白紅遠さんは目を醒ましたが、もう半身不随になっており、大小便を漏らし、記憶を失っていた。しかもたくさんの吐血をし、叫び、全身が青くなっており、両足は電撃された後の水泡があり、両腿の上には二つの深い傷跡もあった。たぶんこれは灌食するときに警察に踏まれたものである。
あんなに若くて元気だったのに、酷く虐待されてこんなになってしまい、知人たちはみな彼のために涙を流した。
家族の丁寧な看病と、法輪大法の師父の見守りのおかげで、白紅遠さんの記憶はだんだん戻り、彼は家族のことが少し分かるようになり、ゆっくりと話せるようになった。彼が少し覚えていることは、警察はスタンガンの電池がなくなると、他の人からスタンガンを借りて電撃を続けたということである。
この事件については、鄭州金水区国保大隊の警察官・陶文耀が責任を負わなければならない。
2009年3月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/20/195801.html)
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