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私は大法の超常的な内包を体験した


文/重慶の新しい大法弟子

(明慧日本)私は法を得て1カ月あまりの新しい大法弟子ですが、すでに大法の超常的な内包を体験しました。

 以前は、生計のために出稼ぎに各地を回っていましたので、世の中のあらゆる辛さを味わい、心は冷えきっていました。時の流れと共に、仕事を見つけるのも容易ではなくなったので、故郷に帰りましたが、生活のプレッシャーはさらに増し、人間はどうしてこんなに苦しく生きるしかないのかと、途方に暮れていました。私の親戚の中には大法弟子がいますが、彼らが共産党からの残酷な迫害を如何にして生き抜いてきたのか、私は自分の目で見ました。彼らは社会のプレッシャー、家庭の魔難などの巨大な難関と試練を通り抜け、依然自らの信念を貫き、「真・善・忍」の原則に基づいて、厳格に自分を律し、他人に寛容で、慈悲を根本に心を修め善に向かっているのです。彼らの心はいつも穏やかで、身体も健康で軽やかです。私も法輪大法が素晴らしいことは知っていますが、苦労を舐めることを恐れ、他人の理解を得られないことを恐れ、共産邪党の迫害を恐れ、とにかくさまざまなことを恐れていました。

 しかし近年になり、幼い頃からの持病である頭痛が頻繁になりました。以前は発病すると痛み止めの薬を飲み、すぐ効果がありました。それがこの頃効かなくなったのです。しかし痛みで苦しくても病院に検査に行く勇気はありませんでした。今の人たちは珍しい病気、不治の病、診断のつかない病気など、あまりにも多種の病に侵されています。生き生きした人間が病院で検査を受けて、がんだと診断されれば、その場で死ななくても半ば衝撃で死ぬかもしれません。私は人生の短さを嘆き、生命の脆弱さを嘆き、人生はなんと哀れで苦しいものかと嘆きましたが、なす術はありませんでした。

 ここでやっと法輪功の事を思い出したのです。法輪功の心身に対する奇跡的な話はずっと前から聞いたことがありましたので、親戚が家に保管していた大法の本を出してめくって見ました。以前はどんな本であれ、読むと頭が痛くなるので、私は一切本を読むことをしませんでした。しかし、『転法輪』を読んでいると、頭痛はなく、しかも第二講まで読んだ時、師父は私の天目を開いてくださったのです。私は多くの他の空間の景色を見ることができ、結跏趺坐をして金色に光り輝く師父のお姿を見ることができました。多くの佛や菩薩を見ることができ、我々の現実空間よりはるかに美しい山水を見ることができました。これらの景色は目を閉じると見え、目を開けると消えますが、私の意識はとてもはっきりしており、それらは決して幻覚でもなく、夢でもありませんでした。師父が本の中でおっしゃった「天目」や「他の空間」は実在しているのだと、私は知っています。

 私も煉功の真似をしました。親戚が家に置いていったビデオを見ながら、こっそり煉功を習いました。煉功をすると、頭痛がいつの間にか治り、自分でもいつ治ったのか分からないのです。ある日、不注意で足首を捻挫してしまい、痛みが激しく、トイレに行ってもしゃがむこともできず、とても苦しかったのです。夫は病院に行くようにと言いましたが、私は修煉を始めたので、病院には行かないと答えました。この一言と同時に、足の痛みが瞬間に消え、正常に戻ったではありませんか! 本当に不思議です! しかもその瞬間、私は体が浮き上がるように軽くなり、非常に美妙な体験をしました。

 煉功の時、私の手はいつも服に触れていました。ビデオを見ると師父は全く触れていないのに、なぜ私はいつも触れるのだろうと思った瞬間、また不思議なことが起きました。私の手は一種のエネルギーに吸われるかのように外側に動き、自然に服に手が触れないように動いたのでした。またある日、友人の家に行きましたが、彼らはみな大法弟子でその時発正念をしていました。自分は新しい大法弟子だから功力が無いと判断し、私は早めにベッドに入りました。眠っていたはずでしたが、隣の部屋では発正念をしていたので、私は電気に触れたかのように、すぐ目が覚めてしまいました。ある一種の非常に強烈な、言葉で形容できない力が私の体を浮かせており、身体はしびれるような熱い感じがあり、しかしとても気持ちがいいのです。同時に目の前では金色のものがちらついており、目を閉じると見えますが、目を開けると消えるのでした。

 最近のある日、息子が会社である製品にねじを打つ時、穴をまっすぐ開けなかったため、ねじをまっすぐ打ち込むことができず、結局その商品は売り物にはなりませんでした。やり直すのも不可能な状態でした。しかし、廃品にさせたくなかったので、どうにかそのねじをはずそうとしました。私と息子は渾身の力を使い尽くしてもそのねじを動かすことができませんでした。もう不可能と言うことは私たち2人も知っていましたが、ボスの厳しい目つきを目の当たりにして、2人は焦ってしまいました。しかし、もうどうしようもありません。その日の夜、また思い出しました。ちょっと前にボスと大きなトラブルが起きたばかりなのに、またこんなことになるなんて・・・息子はまだ若いし、仕事を探すのも一苦労です。私は泣き出してしまい、心の中で師父に助けを求めました。

 翌日、息子と2人で、もしあのねじを取り外すことができなかったら、弁償しようと決めました。会社に行き、ボスの引きつった顔を目の前にし、息子がドライバーでそのねじをはずすと、奇跡が訪れました。昨日はびくともしなかったねじが、すぐ動いたではありませんか! 30秒もしないうちに、ねじははずされ、その商品は結局廃棄処分にならず、ボスとのトラブルもこれで落着しました。当時、私は自分の心を抑えきれず、涙があふれ出ました。私には分かっていました。師父が私を助けてくださり、まだ法を得て間もないこの私を守ってくださったのでした。私は人の居ないところに駆け込み、涙を流しながら、心の中でつぶやきました。「師父、ありがとうございます! 師父、ありがとうございます!」

 『転法輪』を読む時、私はよく涙を流します。まさに私の人生に対して書いてあるような気がしました。全てのこと、私の苦痛、私の煩悩、各種の情の絡みによって、心身ともに疲れ果て、息もできないほどでした。泣いた後にはすっきりして軽くなった感じがしました。師父は、人生の苦難は因果応報の結果で、自分が作った業は自分で耐えなければならないとおっしゃいました。またトラブルに遭った時は内に向かって探し、内に向かって修め、情を放棄し、慈悲心を持って他人に接するようにと説かれました。私の心の容量は大きくなり、大分落ち着いてきました。佛法は無辺で、人間の一切の心の結びを解くことができるのです。

 私が言いたいのは、実際自分で修煉してみなければ、法輪大法の博大で奥深い内包を体悟することができないと言うことです。人間にとって最も大切なのは金銭でも名利でもなく、平安と健康なのです。ある人は、無病は福、無煩悩は仙人と言いますが、しかし人間である以上、どうして病気も煩悩もなくなるでしょうか。しかし、法輪大法の法理に基づいて修煉する人にはできるのです。これこそ法輪大法が民間で極めて広く伝えられている理由であり、それを恐れた共産悪党が国力を使い果たして9年間弾圧を行っている理由でもあります。しかし弾圧すればするほど強くなり、いまや永遠に消えない烈火のように全世界に燃え広がり、強権と暴力で征服するのは、もはやあくなき妄想でしかないのです。

 もう一つ言いたいことが私にはあります。人生は夢のようで、栄辱や尊卑は、去り行く雲のように、瞬く間にすぐ消えていくものです。この万古の機縁をつかみ、正法を修煉し、自分自身のために美しい未来を築かない理由がどこにあるでしょうか。私のような新しい大法弟子を含めて、全ての弟子に対する師父の慈悲は平等で、本気で修煉しようとする人は必ず見守ってくださるのです。師父の難しさ、師父が耐えておられる苦難を想像するだけで私は心が痛み、涙が溢れます。しかし、どれだけの世の人々がそれを分かっているでしょうか。師父の洪大な慈悲は俗世の迷子を感化させています。帰っておいで、帰っておいで、 迷子になったわが子よ!と。

 迷いの中の世の人々よ、法輪功を理解し、法輪功を修煉してください。この万古の機縁を逃さないでください! 偉大なる法輪佛法が世に伝えられています! 

  2009年3月3日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/23/195961.html