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広東省:60代の馬秀蘭さんは迫害により危篤(写真)

(明慧日本)広東省佛山市南海区の60代の法輪功修煉者・馬秀蘭さんは、2008年6月19日に真相を説明したため中国共産党当局の警察に連行され、南海留置場で迫害された。2009年1月6日に留置場側は突然馬さんの家族に馬さんを家に帰すと連絡してきたが、結局本人はすでに迫害されて危篤状態になっていた。



 上記の写真は馬秀蘭さんが迫害される前と後の写真で、全く別人に見える。もともと健康で善良で身のこなしが軽かった馬さんは、今、迫害により痩せこけて危篤状態になってしまった。

 馬秀蘭さんは、山東省出身で、2人の娘とともに広東省佛山市南海区で10数年生活していた。10年前から、馬さんはいろいろな病気を患っていたが、法輪功を修煉してから体調がよくなり、顔がつやつやして血色も良く、心も和やかになった。 

 1999年7.20日から、共産党は気が狂ったように法輪大法を誹謗中傷した。自ら受益した大法弟子として大法の無実を実証するために馬さんは毅然として北京へ陳情しに行き、その後、山東省で監禁された。南海に戻ってからは再び南海の「610弁公室」に順徳洗脳班まで連行され、2カ月迫害された。数年来警察はいつも馬さんに対して監視、尾行を行い、何回も家宅捜査をした。

  2008年6月19日に、馬さんは南海畳窯で真相資料を配布した際に現地の派出所の警官に連行されて、その後不法に南海留置場に監禁された。その間、本人はいろいろ残酷な仕打ちを受けた、例えばセメントの地面に寝かせられ、拷問、スタンガンでの電撃、全身殴打などである。ある日警官に引き出されて不法に拷問されたとき、馬さんは突然倒れたため、やっと房に戻された。馬さんの体はますます悪化して、痩せこけて衰弱し、最後には飲食も出来なくなり、大小便も出来ずに死にそうになった。留置場側はずっと家族にこうした状況を通知せず、甚だしきに至っては不法に開廷審理の期日をも教えなかった。

 馬さんが迫害されて朦朧状態にあり、身動き出来ない状況にあるにもかかわらず、共産悪党の関連人員は係員2人を派遣して馬さんを法廷に引き立て、馬さんを無理に支えて開廷審理をし、さらに少なくとも3年の刑罰を下すと言いふらした。かれらはまたごろつきの手段を使って、馬さんの家族をだまして開廷の時間を次々変更したが、彼らの行為が後ろめたいものであると彼ら自らが証明したようなものであった。2008年12月3日に、馬さんの家族が裁判所に行って開廷日を尋ねたところ、当日午後開廷すると言われた。しかし、この前に検察院の知らせでは12月22日に開廷するはずだった。

 12月3日の午後3時ころ、馬さんを運ぶ警察車両は裁判所の入口に停まり、家族の人は馬さんの体が前よりだいぶ痩せこけて骨と皮ばかりになり、全く別人にようになっているのを目にした。娘さんが母を呼んでも馬さんの反応はなかった。警察は馬さんを中まで運んで、開廷した。家族は本人がすっかり弱っているのを見て、法廷に重病のための一時出所を申し込んだが、裁判所に拒絶された。当局が如何に人の命を重んじないかこれで分かるだろう。 

 2009年1月6日、馬秀蘭さんの娘さんは広州武警病院に馬さんを迎えに行くようにと留置場から電話で通知された。家族は馬秀蘭さんの状況を調べたいと思い、病院の担当医にカルテを要求したが、悪辣な警官に拒否されて、家族は医者との接触さえも禁じられた。

 家に帰った後に馬さんはもう息絶え絶えになり、半身不随で感覚を失ってしまった。家族がすぐに病院まで運んで治療したが、もう手遅れでどうしようもないと言われた。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年3月3日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/2/21/195848.html