日本明慧
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心を落ち着かせて、無条件に内へ向かって探し、自分をよく修煉する


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)神韻公演の大陸版DVDが出来上がってから、それを売り、録画、コピー、包装することを急いでいる。ある同修が買ったDVDはあまり良くない、ある同修はよく包装していない、ある同修は配ることに集中してないのを見て、とても焦り、あちこちでこれについて話した。約十日後、頭の中で「はあ、同修はなぜ法理に従っていないのか。なぜ良く行わないのか」と思っていた。早朝または夜8、9時に同修の家に行ってこのことを話した。集団学法の時間も心が落ちつかず、法を読むときは読み飛ばし、読み終わると急いでこのことを話した。集団で正念を発するときは咳をしたり、入静することができなかった。

 ある同修は、私の状態が良くない、良く修煉してないと言い、私はとてもくやしい思いを感じた。私は法のために責任を持ち、同修のために責任を持っていると思ったが、自分のやり方が過剰であることに気づかなかった。とても執着していた。師があり、法がある。同修たちは大法の中で修煉し、みんな大法の中で正され、向上することができる。しかし、私はこのように執着して、内へ向かって探さず、いつも他人を変えたいと思い、自分を変えようとしなかった。常人の監督みたいであった。

 今日、ある同修が心を落ち着かせてよく法を学び、自分の状態を調整したらと勧めてきた。この2、3か月を思い出すと、何かをする心がとても強く、毎日とても忙しく、いつも夜中までやり、やっと法を学ぶことを思い出した。そのため、結果は良くなく、学法の効果も良くなかった。自分の心が落ち着いてないから、自分を妨害するだけではなく、同修にも影響を及ぼした。心の中でとても後悔している。本当に真剣に内へ向かって探すべきである。長い間、落ち着いて法を学んだことがなく、こんなに大きな妨害を受けても覚めなかった。これはとても大きな漏れではないか? もう悔しい思いはしない。冷静になって内へ向かって探すと、自分が執着しているものがとても多いと分かった。私はずっと、自分の修煉の道は正しく、悟りは正しいと思いこんでいた。自分に執着し、顕示心に駆られ、いつも他人を指導し、ずっと同修の執着に執着していた。同修のやることが自分の基準に合わなければ焦り、同修と交流するとき、心情はとても良くなく、同修を指摘して責め、善はなく忍もなく、そして口も修めなかった。責任を負わないで他の同修と話していた。これのどこが、師父の正法の過程に従って着実に修煉する大法弟子の修煉状態だろうか!

 師父は次のようにおっしゃった。「今になってもまだ、一心不乱に本を読むことのできない人がいます。特に大法の仕事をしている人は、いかなる口実をもってしても、本を読まず、法を学んでいないことを隠してはなりませんし、師父であるわたし個人のために何かをするにしても、日々、心を静めて法を学び、着実に修めるべきです。皆さんが本を読んでいる時に考えが乱れていると、本の中にいる無数の佛、道、神は、あなたの可笑しく、また哀れな考えを見ていて、思考の中の業力があなたを制御しているのに、あなたがまだ迷って悟らないのを見ているのです。仕事をしている一部の人は、長きにわたって本を読まず、法を学んでいませんが、それでどのようにして大法の仕事をうまくこなすことができるのでしょうか?無意識のうちに皆さんは多くの取り返しのつかない損失を生じていました。教訓は皆さんをさらに成熟させるはずです。旧い邪悪な勢力に皆さんの考えの隙を突かれることがないようにする唯一の方法は、しっかりと法を学ぶことです。」(『精進要旨二』「円満成就に向かって」)。今後、まだ心を静めないで法を学ぶことはせず、執着心を捨て、いかなる状況下でも心を静めて、無条件に内へ向かって探し、着実に自分のこの心を修め、本当に向上して、師父に心配をかけないようにしたい。

 2009年3月4日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/23/195939.html