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弟は迫害されて死亡 姉は冤罪を着せられ投獄された


文/遼寧省の大法弟子

(明慧日本)遼寧省義県の法輪功修煉者・左立志さん(女性)と弟の左中右さんは2人とも中学教師であり、1999年7.20、法輪功が弾圧され始めてから、姉弟2人は何度も連行され、拘禁され、労働教養などの迫害を受けた。弟の左中右さんは2年前に錦州市労働教養所で虐待され、35歳の若さで死亡した。姉の左立志さんは馬三家労働教養所で9カ月の労働教養処分となり、今年2月12日、また義県裁判所で不法に5年の判決を下され、現在、遼寧省女子刑務所で拘禁されている。

 一、弟の左中右さんが迫害されて死亡した経緯

  左中右さんは義県出身。大学卒業後、中学教師をしていた。1999年に北京へ陳情に行った時、警官に連行されて錦州市労働教養所に送られ、2年間拘禁された。

  2000年3月、中右さんは労働教養所から出て、再び北京へ陳情に行った時に興城駅で警官に連行され、再度錦州市労働教養所に送られた。教養所で、中右さんは、7日間独房に閉じこめられ、蹴られたり殴られたり、電気ショック棒で電撃を受けたりして、さまざまな非人道的な迫害を受けた。

  同年10月、法輪功の修煉を放棄しようとしない中右さんへの迫害は一層激化した。労働教養所の所長や主任、課長などの幹部は全員を動員して、中右さんに様々な体罰を加えた。1カ月後、中右さんは骨と皮ばかりにやせこけ、血圧が70/50まで下がり、すねがむくんだ。重圧の下で中右さんは仕方なく自分の意に反して妥協してしまい、2001年4月25日に釈放された。

  中右さんは「法輪功は素晴らしい」という言葉を常に唱えていたため、2001年10月、再び連行され、2年の労働教養処分となった。教養所で、中右さんは迫害を受け続けた。2002年7月、迫害は急に激化し、結局、中右さんは心臓、肺、腎臓の機能が衰弱し、咳をしても息が続かず、意識がもうろうとし、2006年5月29日に他界した。35才の若さであった。

  二、姉の左立志さんは秘密裏に5年の判決を下された

  姉の左立志さんは1968年生まれ、小さい時から善良で真面目、勉強もとても熱心だった。1993年に大学卒業後、義県大楡樹保鎮中学の教師となった。

  1999年7月24日、立志さんは鎮政府の警官に連行され、洗脳班に閉じ込められ、2日間にわたり精神的な迫害を受けた。同年9月23日、立志さんは北京へ陳情に行った際に再び連行され、義県留置場に送られて15日間拘禁され、1360元をゆすり取られてから釈放された。同年10月13日、また警官に連行され、義県留置場で1カ月拘禁された後、遼寧省瀋陽市馬三家労働教養所に移送され、不法に9カ月の労働教養処分となった。この期間、立志さんは1年間の給料(人民元4500元相当)を差し引かれ、しかもさまざまな拷問を受けた。

  2002年から2006年にかけて、立志さんは時々、県や鎮の警官に嫌がらせをされ、仕方なく何度も家を出て放浪生活をしなければならなかった。

  2008年8月2日、立志さんは再度連行され、同年10月10日に開廷された。法廷審問を受けていたとき、立志さんは自分が無罪だと主張し、弁護士も無罪だと弁護したが、司法官や検査官は応じず、早々に審問を終了させた。しかし数日後、立志さんは、「邪教を利用して法律を破壊した」という根も葉もない罪名で3年の判決を下された。家族はその判決に不服で、高等裁判所に上訴したが、立志さんは無罪にならなかっただけでなく、かえって5年の判決に変えられた。2009年2月17日、立志さんは遼寧省女子刑務所に送られ、暗黒の服役生活が始まった。

  (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

  2009年3月5日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/2/26/196141.html