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私が上海市女子労働教養所で迫害された経緯

(明慧日本)私は他人から悪意で通報され、2004年12月29日、上海市徳平街羅山派出所に強制連行された。12月31日、羅山派出所の警察は不法に家財を没収し、私が自分で録音した五通りの煉功テープ、天安門焼身事件のCDを持ち去った。朝4時私は上海市留置場に送られ、30日過ぎて拘置所に移送され、20日あまりを経て上海市女子労働教養所五隊第一グループに送られ、不法に18カ月の労働教養の判決を受けた。

 労働教養所では、みんな朝4時に起き、夜10時に寝る。昼間はホールで1人の受刑者が監視し、私に労働教養所の規則制度と反面的な教材を読み聞かせた。1週間後私は労働教養所五隊第一グループに配属された。彼らは私に偽りのCDを見せ、思想改造を押し付けた。私が承服しないと牢屋に監禁し、直立不動の姿勢を強要した。

 大隊長は私に減刑のためとして転向を押し付け、又自分と一緒に他の同修を転向させるように強要したが、私は同意しなかった。大隊長はひどく怒って私を独房に監禁し、直立不動の姿勢を強要し、報告書を書いた。他の人は朝6時に起き、夜8時に寝たが、私は朝4時におこされ、夜10時に寝かされた。30日過ぎて私の両足は腫れ、血圧は220まで上がった。彼らは私に薬を飲むことを強要したが私は飲むのを断り、しまいに病院に送られた。

  戻って又第一グループに入れられ労働の体罰を受けた。私が承諾しないと、大隊長は両手で私の服を掴んで自分のオフィスまで引っ張って行き、必死に私の頬を殴り、脚で私の身体を蹴った。私が阻止したら彼女は国家公務員に反抗したと言い、又独房に監禁し、直立不動の姿勢を強制した。その後第一グループに戻って労働の体罰を受けた。18カ月後私はやっと釈放されたが、私は初めから終わりまで屈服しなかった。

  2009年3月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/3/196463.html