■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/03/05/mh062170.html 



心を込めて修煉し、大法に同化する(一)

文/四川省の大法弟子

(明慧日本)私がかつていたところは、次第にとても荒涼となり、しかも悪者が何人かいました。私はそれらと戦っても勝てず、その空間は二度と元の状態には戻れず、回復できなくなったので、私は下りてきました。私はこのことだけを覚えており、非常に深く印象に残っています。ですから、私の学法の目的は、師父に遵って師父が法を正すことを手伝うことで、最後に師父に正された私の宇宙に帰っていこう、と心の中でそう思っています。

 私は1996年4月に大法を得ました。

 師父は私達に、何をする時にも(真相説明を含む)理性を保つように要求されていると私は理解しています。私は、基本的にこの原則に基づいて行い、何事も表面の効果を求めないで、万物を潤すあの小雨のように、静かに全てを変えていくのです。

 法の中から修めた慈悲をもって迫害を制止する

 1999年に北京へ行って大法を実証し、ただ当局に対してただ「ノー」と言い、人々に修煉者を迫害することは間違っていることを教えたいだけでした。帰って来てから、両親は私に対してうるさく言い、私は勤め先からもプレッシャー受けて、しっかりすることができず本心と違った話をしました。それから分かって、誤りを正し、しっかりと行えました。

 ある日、「610弁公室」の人は私を呼びました。私は心で、ちょうどあなた達に会って話しかったのだと思いました。そこに着いて、私は彼らに語り始めました。私は小さいときからよく人と喧嘩をしたり、人を罵ったりしていましたが、大法を修煉してから変わりました。礼儀正しく人に接し、また至る所で人のために思いやり、何度も買い物あるいは他の用事で支払う時に余分に百数元のお金を渡されたことがあり、私は気付いたらすぐに返しました。損をしても言い争いませんでした・・・。私は言えばいうほど声が大きくなり、最後に私は、彼らに「法輪功を修煉するのは良い事ですか」と問いただすと、彼らは答えられませんでした。私を外に送る際に、職員は私に小さい声で、自分たちも法輪功が良いことは知っていますが、しかし、上から圧力を加えられて仕方がないと私に言いました。当時、私は彼らがとても可哀相に思いました。

 『転法輪』の「煉功して魔を招く」の中に、「正法を修煉して得たエネルギーは純正かつ慈悲に満ちたものですので、皆さんはここに坐っている間、和やかで慈悲に満ちた場と感じているでしょう。」「一般の人があなたの場の中に入ると、あるいはあなた自身は家にいながらにして、他人を制約することができます。家族のみんなもあなたの制約を受けるかも知れません。なぜかと言いますと、あなたが念を起こすまでもなく、この場は純正で、和やかで、慈悲に満ちた正念の場ですので、この場にいれば、人々は悪いことを考えたり、良くないことをしたりすることが容易にできません。この場はそのような作用があるのです。」と師父は説いておられます。私は自分の慈悲のエネルギーを使って「610弁公室」の人を覆い、悪い要素を発揮させないようにしました。それから、私は居住する地区を慈悲のエネルギーで覆い、彼らに私を迫害させないようにしました。それから、邪悪は二度と私を捕まえることはしていません。私は、今まだ一部の地区は大法弟子への迫害がひどいと思いつきました。このような情況が現れる原因はとても複雑なのですが、この中にはきっと私たち自身の修煉の問題があると思いました。例えば、私達の闘争心が少し強いとか、慈悲心が少し足りないかもしれません。その上、理知が足りないのです。知恵が足りない時に問題が出やすいのです。

 大法を修煉する前に、友達は私にニックネームを作って、「戦犯(人と争うことを好み、優しい心があまりないの意)」と呼んでいました。修煉してから、私は自分の優しい心が不足していると気づいた時点で、自分で自分のために「慈悲」という名前を与え、もの事をする時の自分への注意となりました。迫害が起きてから、両親は私が別の同修と接触することに反対していました。私は、毎日彼らへ発正念しても効き目がありませんでした。学法の時に師父の『転法輪』「清浄心」を読んで、「本当に修煉するには、心に向かって、内に向かって修煉し、内に向かって探さなければならず、外に向かって探してはいけません」とあります。私は内に向かって探してみました。実は両親は私が迫害されるのを恐れており、彼らが恐れていることは、私の心の奥深くまで迫害されることを恐れているわけです。私の運命は師父が按配されており、今は正法修煉ので、過去にイエスが人を済度する時に十字架につけられていたこととは全く異なります。誰も私を迫害する資格がなく、私は旧宇宙の理をも認めないと思いました。次第に、私はこの恐怖心を放下しました。ある日、私はまた外出しようとした時に、父は私を止めて、「もの事をする時はきれいに裁くべきで、将来の災いを残さないこと」と言いました。それから父は党を脱退しました。

 私は病業の妨害が現れて、全身痒くて、かいていると皮膚が破れて、服も血まみれになりました。夜は寝つけず、座って発正念し、一晩中で1時間しか眠れない時もありました。残りの時間は絶えず発正念をしました。最初は両親に知られるのを恐れていました。しかし、私の手は持ち上げられないので、やはり両親に気づかれました。彼らは私に薬を飲ませようとし、私は「大丈夫、死なないから」と言いました。当時は本当につらくて、極端な時は頭を壁にぶつけて痛みを紛らわそうとしました。それから私は、法を学んで、まさに自分の修めた良いところを使ってこれらの悪いものを一掃するようにと思いました。時間が経つにつれて、母が「若いくせに病弱ね」と言った時に私は論争せず、心の中で、今後どうなるか見ていなさいよ、と思っていました。私がすっかり治った時、母は無言でした。それから母は病気にかかって、私が煉功を教えると、母もまじめに学ぶようになりました。

 集団学法の中で高まる

 しばらくの間、真相資料を配布しきれなくなり、私は同修に、「私達は一緒に学法しましょうよ、ノルマを達成するみたいに慌ててもの事をしてはいけません」と話しました。みんなの心の中に多少の恐怖心がありますが、しかし一緒に学法をしたいという願望も強いのです。そこでグループに分かれて、一つのグループの人数が多くならないようにし、周囲の注意を引き起こさないようにしました。一緒に学法をする時にみんなはまず発正念をします。そうすると、学法をする時にとても落ち着きます。常人は一緒にいるとトランプやおしゃべりをしますが、私達が一緒にいる時は学法、交流をするべきです。しかし、理知的にしなければなりません。それから、大法の修煉を始めたたばかりの新しい同修が私達のグループに来ました。学法が浅くて、何かを行う心が強いため、迫害されました。最初、私はまたこの同修が話を聞いてくれないと愚痴を言っていましたが、それから自分の不足を探してみると、私が同修をきちんと導いていなかったことにやっと気づきました。新しく大法を修煉する同修は、もともと難が多いため、私達はもっとしっかり手伝うべきです。正念が出てきましたが、しかし環境は破壊されて、家族に理解されなくなりました。ある交流の中で、同修は色魔の妨害、難を乗り越えず、夫が不倫したことなどに言及したので、私は発正念を手伝って、これらの色魔をきちんと一掃するようにしました。しかし、これらの色魔はズラリと並んで私を探しにきました。すべての色魔のそばに、コントロールされた同修がいます。その同修はみな表情が無念で、力がないようです。色魔たちは、これらの同修の色魔はその同修が自分で求めたものだ、自分の選択だ、だから一掃しないようにと言いました。私はもちろんそれらの言うことを聞きませんでした。

 ここまで書いて、私は同修が自分の心の悩みが解けるように期待しています。人の世界ではたくさんの思い通りにならないことがあるのですが、しかし修煉者として、思想、行為などはすべて法に従うべきで、自分をわざわざ悩ませることではいけません。

 私は、自分自身の嫉妬心は少ないと思い込んでいました。しかし、ある時に私は夢を見ました。夢の中で、私は大法を実証する事をとても良くできましたが、しかし、他の人は私を「申公豹」と呼びました。目覚めてからとても驚きました。これでやっと自分の嫉妬心を一掃するよう重視しました。実はこの心は真実なものではなく、いつの間にか自分をきれいな花のように見てしまいました。今は冷静に客観的に真実を見ると、まだまだたくさんの不足があります。同修に対する排斥もこの心が働いた結果です。

 電話を使わなければならない時、私は一般的に公衆電話を使います。その上、同修の電話番号をすべて頭の中に覚えています。私達の頭は飾り物ではないので、できるだけ使いましょう。電話番号を頭の中に記録すると一番便利で、しかも安全です。私達同修の間で電話の安全性を重視しない人がいます。いつも携帯電話で互いに掛けています。結局盗聴されて、資料を取る時に尾行されて連行されました。この2人は一人が新しい同修、もう一人は古い同修です。古い同修は新しい同修を正しく導かなかったのです。地元では、まだノートに同修の電話を記録する同修がいます。この方面の教訓は多すぎて、同修が理知になることを望みます。

 (続く)

 2009年3月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/2/3/194744.html

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