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交通事故が私を目覚めさせた


文/遼寧省朝陽市の大法弟子

(明慧日本)私は1996年より法輪大法を修煉し始めましたが、悟性が悪く、学法も足りないため真に修めているとは言えませんでした。特に1999年「7.20」以降、恐怖心が強く、その他にもいろいろ執着心があり今日に至りましたが、やはり失敗ばかりでした。師父が毎回慈悲に啓示して、私に人間の執着心を放下するよう促されているものの、真に悟らず毎回向上するチャンスを逃していました。学法を通じて自分の不精進は執着心が原因だと悟りましたが、精進したりだらだらしたりしていました。2008年12月7日、私は大きな交通事故に遭い、それからやっと目覚め、真に大法修煉が厳粛で神聖であることを悟りました。

  12月7日、あるスーパーが開店し、私たちは4人一緒に買い物に行きましたが、帰る途中で乗っていたタクシーが3台の車と相次いでぶつかりました。私は助手席に座り、後ろに妹、姪、娘の3人がいました。事故直後、私は呼吸困難になり、わずか針先ほどの隙間から空気が入ってきているかのようでした。私は意識がはっきりしており、そこで「私は修煉者であり大丈夫」と思いました。次第に事態が分かってから「法輪大法は素晴らしい」と念じ、3回繰り返ししてから動き始めました。後ろを見ると、妹の顔が青白く、私は「早く『法輪大法は素晴らしい』と言いなさい」と言ってから、彼女達の口が動いて法輪大法は素晴らしいを念じているように見えました。この時に妹は一息呼吸したようでした。

 私は急いで下車してみると、地面は一面ガソリンでした。運転席のドアを開けると、運転手の脳漿が流れているのが見え、引っ張っても彼は動けませんでした。私は周りの人に、救急車を呼ぶように頼みました。ある男性が電話をかけてくれ、直ぐ来ると言いました。 

 そして、後ろのドアを開けました。後ろの3人とも動けません。妹のダウンジャケットが砕けたガラスの破片で破れて羽毛が飛び出しており、皆茫然としていました。

 「120」の救急車が来て、姪と妹、運転手が第2病院に運ばれ、私と娘は医療センターに送られました。診断の結果は、娘は膀胱が破れ、骨盤と脚が骨折していました。

 娘の診察が終わり、私の番になりました。私は大丈夫だと言いました。しかし駆けつけた家族がどうしても医師の診察を受けるようにと要求しました。その時、私は心の中で考えました。師父が私を加護してこの魔難から脱出させくださり、何の問題もなく、診察しても何も出てきません。私は師父の大法弟子です。 私の正念はとても強く、心は空で、親族への情にも執着していません。師父の法が脳裏に浮かび、しばらくして一語一語が思い出されました。師父は『転法輪』 の中で説かれています。「物事の善し悪しは人間の一念によるものであり、その一念の違いによって異なる結果がもたらされることがある」医師は私に3種類の検査をして、同じく何でもないことを証明しました。

 この体験を振り返ってみると、私はとても感慨無量です。私はこの数年来あまりにも不精進なのに、師父はやはり私を加護してくださり、感謝しています。私が座った場所が一番危険な所であることは誰でも知っており、しかも今回の事故はこんなにもひどかったのです。しかし私はこれほどひどい事故で少しも負傷せず、師父のご加護がなければこのような奇跡はありえません。 

 師父の恩は洪大です、私は真に目覚めました。修煉はとても厳粛であり、私は更に怠惰であってはなりません。師父は再度私を加護して、命を助けてくださいました。私は師父に与えられたこの機縁を重く受け止め、残り少ない日々を大切にして衆生を済度し、精進し、三つの事をしっかり行って先史の誓約を果たします!

  命の恩人・師父に感謝いたします!

  2009年3月6日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/2/8/194999.html