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トウ建剛さんは虐待され、肋骨が折れ椎骨に裂け目状態

(明慧日本)四川省彭山県の法輪功修煉者・トウ建剛さんは法輪功への信仰を堅持したことで数回不法に残虐な迫害を受け、現在楽山市五馬坪刑務所に拘束されている。同じく法輪功を信仰している妻・姜献濤さんも労働教養を科されており、幼い娘は中途退学するしかなく家におり、生活は非常に窮迫している。

  トウ建剛さんは過去にも不法に労働教養されたことがある。綿陽新華労働教養所で邪悪な警官の指示を受けた受刑者により虐待されて肋骨4本が骨折、椎骨にひびが入り、体液が滲出した。

  2000年末トウ建剛さんが法を実証するため北京に行った時、県公安局の警察により県留置場に送還され、不法に監禁されて殴られたり拷問で虐待されたりした。手錠が両手裏の肉の中に食い込み数分経ってからようやく外された。拳で頭、体を殴られ、両足を踏まれて親脚爪二つが取れて他の足指は紫黒色になった。その後、トウ建剛さんは不法に綿陽新華労働教養所に移送された。その期間中、種々の迫害を受け入れなかった為、数回の暴力、スタンガンで頭、体、脚、足など部位に電気ショックを受け、手足の感覚を失って挙げられなくなるまで継続された。

  2002年8月14日午前、小雨が降る日に、トウ建剛さんが四大隊の四中隊の機械を修理している時、2人の受刑者が飲酒後彼に暴行を始めた。受刑者の王××は文××に「幹部が指示した通りに、表に傷をつけず、内臓を可能なところまで懲らしめればよい。事故が起きても責任は追及されず、教養期間を短くしてもらえるから」と言った。

  文××はトウ建剛さんの左肋骨下の内臓を無理にほじり、肋骨が明らかに緩くなり、トウ建剛さんは苦しんだ。文××は継続して力を入れて内臓をつまみ、左の腎臓が破裂する感じがして全身の力が抜けてしまった。王××は文××に「どう? 出来た?」と聞いた。文××は「これなら間違いない」と答えた。今回は王××がトウ建剛さんの右側を同じ方法で肝臓部位をつまみ、また膝で椎骨などの部位を強く叩いた。また腰掛にトウ建剛さんの頭を乗せて煉瓦で腰掛の面を強く叩いた。2人はトウ建剛さんの顔色が変わるまで殴打した結果、夜の勉強の時に鄧建剛さんは痛みで地面に倒れた。ある人がすぐ幹部に報告して病院に送った。翌日の8月15日、綿陽の二つの大病院で診察した結果、左肋骨7、8、9、10番の4本が骨折、椎骨にひびが入り、体液が滲出した。

 2003年8月23日、家族が種々の妨害を突破して労働教養所で面会した (今まで面会、通信、電話などを禁止された為、家族は何の状況も把握できなかった)。トウ建剛さんが2人に支えられてやっと面会室に現れた途端、家族はびっくりした。顔はほとんど見分けることが出来なくなり、全身が変形していた。隔離されての面会だった為、耳と目が厳重に損傷された彼は呆然となったままで、家族の面会で誰が家族かと聞かれても、家族が大声で名前を呼んでもトウ建剛さんは聞き取れず、家族は泣き出した。トウ建剛さんは物が分かるようになった後、自分の体が踏みにじられた事を家族に言った。8月28日、トウ建剛さんは釈放された。

 トウ建剛さんは2008年5月に真相資料を配っている時、邪悪な人に通報され、13日再び留置場に監禁された。トウ建剛さんは囚人服を着ない、報告書を書かない事で、酷く殴られ、足枷をかけられたまま10日間、陰湿な地面にボロボロのむしろ、マットレスで寝た。その後、新華労働教養所に移送されて迫害された。

  2008年、トウ建剛さんは再び不法に彭山留置場に連行された。同時に連行されたのは妻の姜献濤さんと他の法輪功修煉者1人がいた。

  留置場での前の7カ月は生活条件が非常に悪く、長い期間おかずには塩さえ入っていなかった。9月18日、共産邪党の裁判所では鄧建剛さんに不法に5年の刑を下し、妻の姜献濤さんには3年の判決を言い渡した。トウ建剛さんが五馬坪監獄に移送された時、肺結核(伝染期)、高血圧、二尖弁心臓病に罹っていることがわかり、監獄側から受け入れを拒絶されて留置場に戻った。その後、膨山県人民病院、眉山市人民病院から肺結核と診断された。にもかかわらず10月8日に再び五馬坪刑務所に移送され、不法に一監区に監禁されている。

 現在、トウ建剛さんの健康状況は非常に悪く、腰肋骨および下半身から足指先まで痺れて腫れ痛みがある。歩こうとしても揺れて、足を移動するのも困難で左側がもっとひどい。寒い時は更にひどく、聞こえず耳鳴りがして、視力がぼんやりして人が区別できず、影しか見えない状態である。

  2009年3月7日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/2/26/196127.html