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李文軍さんは再び吉林市の飲馬河労働教養所で迫害され危篤状態

(明慧日本)2009年3月1日、吉林市の法輪功修煉者・李文軍さんは、再び九台飲馬の労働教養所で迫害されて危篤状態になった。李文軍さんは現在、体が非常に衰弱し、血圧は50−80だけであり、それでも九台労働教養所は彼を返さなかった。

 法輪功修煉者・李文軍さん(42歳男性)は、もとは吉林市のある車の部品工場の従業員であり、吉林市高新区二委に住んでいる。父は脳梗塞を患い、よく頭痛を起こし、そして頸椎の骨増殖症、低血圧、副鼻腔炎などの多種の疾病を患っていた。母は腎盂腎炎、頸椎の骨増殖症、腕の麻痺、高血圧、副鼻腔炎などの多種の疾病を患っていた。1996年、両親は法輪大法を学んで三ヶ月後、お金をかけずに全身の病気が治った。家の中はとても楽しくなった。李文軍さんはこれを見て、法輪大法を習い始め、大法の要求とおり、真、善、忍の最高の理に従い、良い人になった。

 1999年7月、江沢民はじめとする中共政権は気が狂ったように法輪功を不法に迫害し始め、師父と法輪功に罪を着せたり、中傷したりしていた。李文軍さんは、法輪功の真実の状況を説明するため、北京へ陳情に行った。まだ何も言っていないのに不法に連行され、吉林市の留置場に15日抑留された。2000年6月、吉林市高新区の派出所は所属部門をぐるになって、仕事中の李文軍さんを強制連行し、吉林市第三留置場に不法拘禁され迫害した。三ヶ月後、派出所から洗脳班に移されて、李文軍さんは仕方なく仕事を失った。

 2004年3月16日午後一時、李文軍さんは客車に乗るとき、昌邑公安支局の国保大隊が彼を旅客輸送の当番室に不法に取り調べた。警官の白剛、副所長の徐新革および警察学校の実習生五六人が李文軍さんの顔をめった打ちにし、顔の色は青あざに変色してしまった。警官らは李文軍さんを地に打ちのめして、足でひどく頭部を踏んだり、全身めったやたらに蹴りつけた。また、警官らは多層のビニール袋を李文軍さんの頭の上でかぶせて、繰り返し苦しめ、窒息寸前まで苦しめた。それでも続けて、李文軍さんの頭をつかんで壁にぶつけ、壁の上に血痕を残した。

 李文軍さんはめった打ちされた後、体が非常に衰弱し、三年の労働教養を不法に強いられ、九台飲馬河労働教養所に送られた。その期間、李文軍さんは就労せず、断食して不法な迫害に抗議した。2005年3月、李文軍さんの家族が重病のため一時出所の手続きをするとき、吉林市高新区の派出所はサインさせず、また危篤状態になった李文軍さんを当地に送り帰した。帰ってから、李文軍さんは法を学んで煉功して、体が急速に回復し、真相を伝え続けていた。

 2008年7月12日夜、吉林市高新區の派出所所長の長欒斌は十数名の警官を連れて、李文軍さんの家に不法に突入し、李文軍さんと彼の高齢の両親を派出所に強制連行した。李文軍さんの両親は四日後に家に帰り、李文軍さんは九台飲馬河労働教養所に連行されて一年三カ月、不法に労働教養を受けた。

 李文軍さんは九台飲馬河労働教養所に連行されてから、迫害され封鎖大隊の厳管所のベッドで横たわっていた。李文軍さんはずっと断食で不法な拘禁に抗議し、一日に二回、野蛮に灌食された。警官は四、五人の受刑者を使って、李文軍さんをトイレで特製の鉄いすに縛り、強制的に食物を流し込んだ。流動食の中に高い濃度の塩、洗剤や小便を入れていた。当時迫害に参与した労働教育人員の一人は孫樹友である。

 また、李文軍さんは長時間両腕を引き延ばして手錠を掛けられ、それから、体の両側のあばらの部分に針で刺される残酷な刑罰に遭った。李文軍さんは体が非常に衰弱しているときにも続けて迫害された。

 家族が九台労働教養所に李文軍さんに面会に行ったとき、警官は家族との面会を妨害し、家族に李文軍さんが会いたくないと言っていると公言した。実際には、警官らが自分の悪行が暴き出されることを恐れて、迫害の事実を隠すためである。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2009年3月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/1/196307.html