師父が言われたとおりに正念を発する 文/重慶市大法弟子
(明慧日本)正念を発することは、師父が大法弟子に求めておられる「三つの事」の一つであり、とても重要であることはみんな知っています。しかし、大法の要求に沿ってどうやってそれを実行するのかは、みなそれぞれ異なっています。このことについて個人の体得をお話しします。間違いがあるところは同修に慈悲のご叱正を仰ぎたいと思います。
正念を発する事は大法弟子にとても重要です。師父が私達に伝授してくださったこの自在な神通力はとても貴重なもので、大法弟子としてそれをしっかり実行したいのは当然です。しかし、私は多くの間違ったやり方をして、よく正念を発したとは言えません。最初、とてもやる気満々で時間があったらいつも正念を発していて、歩く時も車に乗る時も発しました。それから、正念を発する事に関して、師父は何度も説法のなかで、明慧ネットもいくつか通知を出しているのを見て、正念を発する事はいかに大切で、全力でしっかり行わなければならないかがわかりました。5分で体を浄めて邪悪を一掃すると師父が言われたので、私は、それを10分、20分にしたらもっと良いのではないか、もっと多くの邪悪を取り除けるのではないかと思い、結局、私は自分が思ったように10分を使って体を浄めてから、15分で邪悪を一掃するように実行しました。もしも何か急用があれば、あるいは体調があまりよくない時は、正念を発する時間が更にまちまちになってしまいます。
しばらく実践してみたら効果はまあまあ良かったので、ついに私はどんな問題でも正念を発するようになりました。心態が良くない時、体調不良の時、心性の摩擦に出遭う時など、正念を発することは自分の問題解決の万能の鍵だと思いました。最初の頃、これらの事に出遭うと自分一人で正念を発しましたが、一人の正念ではまだ力が小さくて、全世界同時に正念を発する四つの時間帯に正念の力がとても強いと思って、私は自分のこと、同修のこと、親戚のこと、どんなことでもすべてその四つの時間帯に持ち込みました。こうなると、体を浄めて邪悪を一掃する時間が変わって、正念の内容も変わりました。表では正念を発することをとても重視しているように見えますが、実際にそれはとても大きな修煉の漏れになっています。
体を浄めることを例にすると、私の体によくあれこれよくない状態が現れるので、私は自分の思想意識、観念を浄めて邪魔を取り除くだけでなく、体によくない状態をおこす要素をも一掃しなければいけないと思いました。それで、体を浄める時、自分という小さな宇宙、及びそれと対応関係にある天体空間の中の旧勢力、黒い手、邪悪なども入れて、1回でそれらのよくないものを全て取り除こうとしました。
邪悪を一掃する時はなおさらそうです。最初いくつか主要な邪悪人物を重点的に絞っていましたが、「明慧週刊」に同修の救援を呼びかける文章が出た後、私達は正念に北京、長春、馬三家、蘇家屯などの邪悪を一掃する内容を加えました。その5分は殆どこのようなことを思っています。そして祝祭日、敏感な日、共産党の重大な活動、社会情勢の変化など地元の情況も正念の時に忘れたくなく、文字に整理すると何枚も書けるぐらいです。
我々は一生懸命に正念を発しているといえるでしょう。毎日4回の正念は必ずしっかり発して、たとえたまに1回の時間帯を逃したとしても、あとで必ずその1回分を付け加えます。けれど私はしっかり発正念ができていません。正念を発するとすぐ居眠りをして、手印をしっかり結べず、片手をしっかり立てられず、蓮の手印をする時両手を開けられません。同修と交流すると、多くの同修も私と同じような状態にあると、はじめて知りました。ある同修は自分の正念の内容を公開し、紙にぎっしり2枚も綴っています。正念の内容はみんなばらばらで、誰もが自分の正念の内容が間違っていると思いません。これは厳粛な問題で、これは皆の修煉の漏れなので、まじめに内に向けて探すべきだと私は提言しました。それでみんな先ほどの論争を止めて、心を鎮めて大法を学びはじめました。それから私たちは繰り返し師父の説法を学んで、明慧編集部の関連文章を読みました。
師父は『2001年カナダ法輪大法交流会における説法』でこうおっしゃいました。「また、学習者は今後、集団煉功或いはこのような大会の時に、座禅して5分間入静、結印し、意念の中で自分の思想の中の良くない念、業力と良くない観念、或いは外来の邪魔を根絶します。これらの良くないものは死ねと念じれば、根絶されるのです。5分間で効きます」。
師父は『大ニューヨーク地区法会での説法』でこうおっしゃいました。「正念を発する時にいつも口訣を念じているのではありません。一回念じれば良いのです。それで作用が働くようになります。特殊な情況の場合、静かになることができず、もう一度正念を調整するのはしても良いのです。しかし、それも一時的なことです。本当に静かになることができる時、その一念で十分天地を驚かせ、できないことは一つもありません。すぐにあなたが覆っている範囲内の全てを定め、抑制してしまうかのようになります。あなたは一つの山のように、すぐにそれらを抑制することができます。考えがいつも落ち着いていなければ、それはいけません。落ち着いていなければこれをやり遂げることができません」
大法の理に照らせば、私が正念を発する時の状態がよくないのは、やり方の問題だけでなく、師父の言われたとおりにしていない、大法の要求に沿って行動していない、師と法を真に尊重していないという問題だと、悟りました。
体を浄めて、邪悪を一掃するにはただ5分でよいと、師父はおっしゃいました。師父の言われる5分は法であり、広くて深い内包が含まれ、億万人の大法弟子が同時に正念を発することに対する指示であり、法を正す大事です。私は勝手に延長した5分、10分は、ただ「人」が思いついたやり方にすぎません。時間を延長したら大法弟子全体の正念が同時にできなくなります。一般人でも同時性の重要さは分かります。例えば皆で一緒に大きい石を動かす時、「1、2、3」と叫んで、「3」になったらみんな同時に力を出せば、石は動きます。みんなでものを持ち上げる時も掛け声をかけ、これを通じて全員の足並みが揃うのです。私達は師父の説かれる法を忘れて、自分勝手に行動しているのです。これでは私が良い状態を保って正念を発することができるはずはありません。
師父は正念の口訣は一回念じるだけで良いとおっしゃったのに対し、私は繰り返し何回も念じたのです。師父は精神力を集中させ、頭をすっきりさせるようにとおっしゃったのに対し、私はいつも入静できない、若しくはぼんやりと居眠りをするのです。集団で正念を発する時少数の邪悪だけでなく、もっと大きな範囲の邪悪を追って探すべきだと師父がおっしゃったのに対し、私達は近いのか遠いのか、今なのか過去なのか、現地なのか遠方なのかにかかわらず、すべての邪悪を正念に入れて、毎回まったく名前を呼ぶようです。師父が一をやれと言われれば私は二をする、これではどこが正念でしょうか? 当然その作用も働かなくなります。
正念を発することは師父が弟子に実行してもらう「三つの事」の一つなので、誰もがしっかり実行したいことでしょう。師父と大法に対して尊重していないと言われると私は本当に悔しいです。修煉の最初から私は師父と大法に対して何の躊躇いもありませんが、正念をいつも正しく発することができていません。今になってようやく「共産党文化」が原因だったと目が覚めました。数十年間の人生で中国共産党が発起した運動を私は幾多となく経験して、次第にひとまとまりの固定観念を形成しました。風向きを見て発言する、テーマを出されると余分に所見を述べて相手の好感を買う、むしろ極左になっても極右になることを避けるなどがそれです。師父は体を浄めて邪悪を一掃するのに5分でよいとおっしゃったら、私は余分に自分のひとまとまりを考え出したのもそれです。
私は「党文化の解体」を改めて読んで、連日共産党文化を一掃して、過去の正念を発する時、大法の要求に一致していない部分を取り除いて、すべて師父のおっしゃったとおりにして、一文字でも勝手に入れたり抜いたりしません。5分で体を浄めて邪悪を一掃してから、口訣を一回黙読します。「滅」を念じた後に、入静の状態で念を集中してこの巨大な「滅」の字をしっかり守ります。口訣を黙読する前に一念を加えても構いませんが、簡単明瞭にしたほうがいいようです。これらのやり方は明慧編集部の文章に詳しく説明してあります。
このように実行した結果、私の状態は急速に好転しました。大法の理をはっきり理解でき、頭がすっきりし、精神が集中して、心境がとても穏やかです。座ったら強いエネルギーに包まれるようにとても心地良いのです。時には体がとても大きくなったようで、出した念は非常に強い勢いを持っていると感じました。これで全世界同時に正念を発することの威力を私は本当に実感できました。
2009年3月9日
(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2008/8/27/184842.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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