日本明慧
■印刷版   

嫉妬心を取り除き 全体に円容する


文/黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)法輪大法の修煉をするまで、私は名、利、情がとても重い人でした。自分に少し文章を書く能力がある(新聞に文学作品を何篇か発表したことがある)と思って、お高くとまっていて、なにものも眼中になく、同じく文章を書く友人が重みのある作品を書き出したのをみると、心のバランスが取れなくなり、自分より能力が低い同僚が上司に抜擢されると、やはり心のバランスが取れなくなり、戦友が豊かな生活をしているのを目にすると、また心のバランスが取れなくなりました。数十年間の苦しみと疲れにより、私は心身とも疲れきって、全身が病気だらけになりました。1996年に法輪大法を修煉し始め、法を勉強し、心を修めることを通して、心身ともに巨大な変化が現れ、まるで別人になったようでした。

 十数年来、私はずっと心を修めることを重んじてきましたが、嫉妬心を修めることをおろそかにしていて、その心が長期にわたり自分の空間場の中に隠れていました。特にこの2年間、自分でも知らないうちにこの心に動かされて、法を実証し、衆生を救い済度する中で大法弟子全体に損をもたらすことをやってしまい、現地の法を正す形勢にある程度のマイナスな影響をもたらしました。

 2006年以前、現地には二つの資料点がありました。一つは現地の協調者が直接管理する大資料点で、もう一つは個別の学習者が立ち上げた小資料点でした。しかしこの小資料点は資金と人力などの原因で、作れる資料はとても限られていて、かつ常に停止状態に陥っていました。現地には千人の大法弟子がいて、大部分はみな表に出て法を実証していたため、真相資料の需要量はとても大きかったのです。言うまでもなく、現地の二つの資料点は法を実証する需要をまったく満足できませんでした。しかし、現地の協調人は資料点をいたるところに作ることについて認識が十分できておらず、私たちの局面はなかなか突破できませんでした。

 2006年年初、私は数人の同修とともに、協調人に知らせず、交流もせずに資料点を作りました。予想以外にこの資料点はますます大きくなり、3ヶ月経たないうちに、その規模が協調人が管理している大資料点を越えました。資金と技術面で保証があったため、作り出した資料は量が大きく、種類も多く、例えば真相パンフレット、小冊子、『九評共産党』、真相CD-ROM、シール、お守りなどすべてを作れるようになっていて、しかも品質もとても良かったのです。やっていくうちに、自分の人心も湧き出てきました。あなたたち協調人ができることなら、私たちにもできる、しかもあなたたちよりもよくできる。これは、どれほど汚い人心でしょうか!

 2006年3月、私は突然邪悪に迫害され、現地の留置所に連行されました。当夜、私は一晩中眠れませんでした。ずっと自己反省をしました。私は、自分に漏れがあったから、邪悪に隙に乗じられてしまったということを認識していました。それなら、漏れはどこにあるのか? 私は探しに、探しました。闘争心、名を求める心、顕示心、歓喜心、自我に執着する心などなど、多くの人心を探し出しました。当時、嫉妬心もみつけましたが、すぐ自分の観念により覆い隠しました。私は誰を嫉妬するのか? 話すにしても、文章を書くにしても、協調人は私に比べられない、私がどうして彼らに嫉妬するのか? 当時、徹底的に探し出すことができませんでしたが、なんと言っても内に向けて探し、一部の人心を見つけ出すことができました。師父の慈悲なるご加護の下で、私は間もなく留置場から出てくることができました。

 私が釈放されてまもなく、私たちが立ち上げた資料点のことが協調人に知られてしまいました。そして、現地の大法弟子の中で、それまでなかった激しい衝突が起きました。協調人は私たちが資料点を作ったことは一部の人を連れ出して、自分のグループを作ったことであると思っていました。この衝突の中、一部の同修は協調人側に、一部の同修は私たちの側に立ち、現地の大法弟子は二グループに分けられてしまい、間にはとても大きな溝が作られてしまいました。一時期、人心が浮かび上がり、論争が絶えず、現地で法を実証し、衆生を救い済度することに対して、極めて不利な影響をもたらしました。2007年5月、表面上この衝突は解決されたようでしたが、間の溝はまだ取り除かれていませんでした。トラブルを解決するために、私と資料点の一部は同修は交流した後、資料点の規模を普通の家庭小資料点の規模に縮小しました。縮小後の資料点は年寄りの老夫婦が維持するようにさせ、私と3人の同修は資料点を去ることにし、大きな機械は協調人に処理してもらいました。

 私がこうすると、私たちの間のトラブルは解消され、作られた間隔もなくなると思いましたが、結果は願ったことと異なって、何の問題も解決されませんでした。2008年旧暦のお正月の前夜、現地の主要な協調人は、協調人が参加する法会を開きました。法会では、私たちが立ち上げた資料点を直ちに停止させる(実際7ヶ月前にすでに解散していました)ということを丁重に宣告しました。年明けに、現地の協調人は再び同じ規模の法会を開催しました。今回の法会で、私は表面的には内に向けて探していましたが、心のバランスが取れていませんでした。2006年7月以来、私はいろいろな法会で内に向けて自分を探し、自分には自我に執着する心があり、闘争心、顕示心、歓喜心などのいろんな人心があると公に認め、しかもその資料点はもう全く存在していないのに、どうして協調人はずっと追いかけていて私を許さないのか、と私は本当に理解できませんでした。一時期、私の体の状況も優れておらず、常に咳が出ていて、いかに正念を発しても効きませんでした。

 ある晩、私はグループ学法の時、同修らと一緒に『転法輪』を読みました。私の読む番になると、ちょうど第七講の「嫉妬心」の「ある人は、自分は職場で誰よりも優れており、何でもよくでき、なかなか大したものだと思っています。心の中では、『工場長や社長をやれと言われればやれるし、もっと高いポストだってこなせる。総理大臣でもやれないことはない』と思っていました。上司も同僚たちも、この人は大変なやり手で、才能があるなどと褒めていました。ところで彼のグループにあるいは同じ事務室に、何をやっても駄目で、何の取り柄もない人がいたのですが、ある日のこと、彼ではなく、その駄目な人が抜擢されて、しかも彼の上司になってしまいました。彼は心のバランスがとれなくなり、あちこちで不満を訴え、心中穏やかでなく、この上なく嫉妬するのです。」という部分を読みました。私はとても心の深くに触れました! 私はまさにこのような人間ではないか? 学生時代から、自分が偉いと思い、大きな事業をこなせると感じていました。修煉を始めてから、自分はいつも協調人に注意を払い、彼らに何の能力もなく、修煉もあまり良くできておらず、もし私にやらせたら必ず彼らよりよくできると思っていました。これはまさに嫉妬心ではないでしょうか? しかしおかしなことに、師父のこの部分の説法を私は過去に何回も学んだのに、いつもこの部分は他人のことを指していると思い、自分ではないと感じていました。ほんとうに悲しいことでした!

 さらに読み続けていき、師父の説かれた申公豹のストーリーにいったとき、私は全身に冷や汗をかきました。主観的に自分は一部の人をつれて自分のグループを作ろうとしなかったですが、客観的にはこのような作用を働きました。資料を作ること自体は問題ないが、資料点を作るには必ず協調人と話し合ってこそ、大法弟子全体として法を実証する力を発揮でき、大法の威力を現すことができるのです。協調人に知らせず、交流せずに資料を分け渡すことは、少なくとも現地にすでにできあった資料配分ルートに障害をもたらし、もし続けていくと、知らないうちに良くない影響が及ぶことになります。そうなると、申公豹のような悲しい人物になってしまいます。幸いに慈悲なる師父はタイムリーに法をもって私を目覚めさせてくださいました。私に嫉妬心というこの問題の根元が見つかるようにさせてもらいました。人心を見つけ出したら、私は直ちにリラッスでき、数ヶ月間私を苦しめていた咳も完全に良くなりました。

 2008年7月、現地で協調人が参加する法会を開催しました。法会で私は自ら積極的に発言し、自分が法を勉強して、嫉妬心を取り除いた体験を話しました。他の同修も相次ぎ発言し、みな内に向けて探し、法会は熱烈で和やかな雰囲気で満ちていました。この法会は本当に成功裏に開催されました。法会の後、協調人は、この2年間私たちの地区ではこのようなすばらしい法会はなかった、と喜びました。それきり、現地の大法弟子の間で2年間積もっていた衝突がやっと解決され、溝も自ずと解消され、新たに確固たる全体を成しました。

 今後、私は必ず法を師とし、トラブルに遭ったら内に向かって探し、常に法の中に溶け込み、大法弟子全体の中に溶け込んで人心を取り除き、正念をさらに強くさせます。そして、最後の道を正しく、しっかりと歩み、大法弟子として最後に圓満成就し、師に付いて天上に戻れるようにしたいと思います。

 2009年3月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/9/196833.html