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真相資料を届ける体験談

(明慧日本)私は2001年から大法の資料を届けています。当時、法の勉強はまだ少なかったし、心性も高くなかったのですが、純粋な一念を持っていました。それは、大法が一番良いものであり、他の人は皆忙しいから、私にはこの仕事が一番適任で、これが一番意義のあることなので、私はずっとこの仕事を続けたい、という一念でした。

 私はこの仕事を2005年の夏までずっとやっていました。資料がある限り、私は何も言わず手元の他の仕事をさておいても、資料を持ってすぐ出かけて送付に行きました。自分の心境が正しいとき、乗っている自転車は飛んでいるようで、坂を登るときに誰かに押してもらっているようで、まるで他の空間を走っているように感じました。猛暑の夏も暑いと感じず、厳寒の冬に、たとえ帽子をかぶらなくても、春の暖かい風に吹かれるようで、寒いという感じがありませんでした。逆に、自分は心境が正しくなく、楽に行おうと思うとき、乗っている自転車はなかなか進まず、降りて押しても足が重くて、大変でした。

 2003年にSARSが流行していたとき、農村では出入りが規制され、検問所が設置されました。私は資料を届けていたとき、検問所のことを忘れてしまっていましたが、奇跡的に検問されず、一気に五つの村に資料を送付しました。ある町に着いて、街には人影さえ見えず、自由自在に通過しました。翌日、同村のある商店のボスから聞きましたが「君はすごかったね! 街ではバイクで走るのを禁止されているのに、バイクに乗って自由自在に街で走っていてさ! 俺は君のちょっと先に町で走っていたけど、三輪車を派出所に没収された。俺が警官と交渉していたとき、君が街で走っている姿を見た。だが、奇妙なことに、警官は君に気づかなかった。俺は700元と2本の高級タバコを警官に支払い、友人に(交渉を)任せて初めて三輪車を返してもらったよ」

 今振り返って見ると、当時の私はちょっとわがままで、安全に注意していませんでしたが、幸いなことに、師父が守ってくださっていました。実は、すべてのことは師父がなさっています。この点について、今日、私はやっと分かりました。

  2009年3月12日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/2/28/196241.html