■日本明慧 http://jp.minghui.org/2009/03/12/mh124968.html 



チケットを売ることも修煉の過程である

文/米ニューヨークの大法弟子 朱明

(明慧日本)年に一度の神韻公演は、今年もニューヨークで例年と同じように、何回も公演をします。数カ月前から続々と神韻のチケットを売る仕事を始めました。今になって、最後の公演まで2週間ぐらい残っています。この過程において、感慨も収獲もたくさん得ました。さらにチケットを売ることを推進するために、ここで自分の個人的な理解を書いて交流し、皆さんの参考にして欲しいと思います。

  一、全てのことにおいて、内に向けて探す

 修煉の道はいつも平坦なわけではないと、私達は皆わかっています。神韻のチケットを売る事においても、各種の矛盾と衝突があるのです。各種の常人の心のぶつかり合いと葛藤、個人の生活や仕事との矛盾、甚だしいことに、修煉者の間に起きる不愉快なことに加え、外界からの要素もあります。私達はいかにして今年の神韻のチケットをうまく売ることができるのでしょうか。私の理解ではやはり、どんなことに遭っても、まず内に向けて探すことを堅持することです。修煉者として、私達は皆どんなことに遭っても、私達の修煉に関わっていると分かっています。修煉においてどんな問題に遭っても、内に向けて探してこそ、真に問題を解決する根本的な方法が見つかり、解決できないように見える問題の良い対処法を見付けることができるのです。神韻を広めるのも、同じことではないでしょうか。矛盾に遭った時、やはり、「自分に何か欠点があるかどうか、自分にもっと向上すべきところがあるかどうか、どうして自分にその問題を見せたのか、師父が何か私達に啓発をしてくださったのかどうか」と考えるべきではないでしょうか。もし、私たちにこれらのことができれば、問題は必ず円満に解決されると思います。

  二、しっかり心性を守り 、極端に走らない

 実を言えば、チケットを売ることはやはり人を焦らせる仕事で、たくさんのところに大なり小なり問題があります。しかし焦ることは焦りますが、極端に走ることを避け、極端な方法を避けたほうがよいと思います。修煉者として重んじているのは過程です。法に基づいて動いてこそ、真に仕事がうまくできるのです。何が「うまくできる」のでしょうか。師父は、「真、善、忍は良い人か悪い人かを判断する唯一の基準」、「修煉する心があればとて、功を得る心無し」、「做して求め不(ざ)れば、常に道中に居る」と教えてくださいました。

  三、人心を取り除き、正念を堅める

 焦ることは私達に人心を生じさせやすいのです。私達にまだ取り除いていない人心があり、私たちにかかってくる圧力は、私達が元々もっている正念を人心に変えさせがちです。焦ることは問題を解決できるのでしょうか。問題そのものも、私達が修煉の中で、もっと正念を堅くし、人心を取り除いてこそ、本当に解決されるのではないでしょうか。しかし、問題を解決するのが、私達の修煉の目的ではありません。私たちの修煉の目的は、圓満成就するため、衆生を救い済度するため、師父に遵って法を正すことではないでしょうか。私達は単に問題を解決するためにやるべきことをやるのではありません。問題が出ても、出なくても、私達はやはりそうするべきではないでしょうか。そして、個人的な理解ですが、私達は迫害と妨害を気にして、真・善・忍の原則を放棄してはならないと思います。

  四、積極的に間隔を消し、一つの全体となる

  チケットを売る過程で、私達は皆全体を形成することの重要さを体験しました。どうやって真に一つの全体になれるのでしょうか。個人的な理解ですが、私達の修煉は「大道無形」で、おそらく私達が形成する全体も「無形」であるかもしれません。「心」において、全体を形成し、互いに協調できれば、もう真に一つの全体になったと言えるでしょう。単なる形式的に全体になるのではありません。その一方、私はある同修達の言った事にも賛成します。「本当にできることこそ修煉なのです」やはり、具体的な事情に現れるはずです。形式上も、一つの全体として体現できるはずです。そして私の理解では、私達は積極的に間隔をなくすべきです。その間隔は違う国、違う地域、違う煉功場に現れるだけではなく、身の周りにいる同修の間にも、間隔があるのです。「比学比修」は間隔をなくす働きをするはずで、間隔を拡大するはずはありません。大法弟子は元々一つの全体であるべきです。

  五、法において、神韻の意義を理解する

  この問題について、私は自分に「神韻の意義は一体何でしょうか、どうやって法において、神韻の意義を理解しますか、私達は神韻をどの位置に置くべきですか、神韻についてどのように考え、理解しますか、私達は一体何をしているのでしょうか」と何度も聞きました。

  師父は『2007年ニューヨーク法会での説法』の中で次のようにおっしゃいました。

 「当然ながら、どんなことも言うのは簡単ですが、私が関わるようになって、このことの性質は変わりました。ご存知のように、大法弟子は法を実証しているのですが、師父は何をしにきたのでしょうか? 師父は法を正しに来たのです。ですから、私はこのことを行なうと、相手にする観客、私が済度しようとする人、行おうとすることに変化が生じました。ですから、このことを良く行ないたければ、最高の効果を収めなければなりません。本当にその人を済度し、救うことができてはじめて、私は行なうのです。しかも必ずここまでできなければなりません。ですから、私は以前のように行なってはいけません。以前は大法弟子がみなアマチュア的に行なっていましたが、行なう以上、高水準に達しなければなりません。もちろん、師父が何かを行なうのであれば、きっと最高の効果を収めることができると言う人がいます。そうです! 最高でなければ、私もやりません。(拍手)ですから、私は人材を募集し、舞踊学校を作り、人材を選抜して、楽団を作るよう指示しました。この一連のことはまず基礎から養成し、そして本当に一流の演出効果を収めるのです。創作と演習を含めて、多くのことは師父も関わりました。皆さんもこれを耳にしました。

 いずれにせよ、公演の中で子供たちも非常に頑張りました。確かに良く行ないました。人々が一般の公演を見て涙するのはなかなかないことです。神韻の毎回の公演に多くの人は最初から最後までずっと泣いており、さらに多くの人はひっきりなしに目を拭いています。毎回の公演はみな、こういう状況です。人々は衝撃を受けています。この空間では子供たちは演出していますが、他の空間では多くの私の法身と神は皆行なっています。(拍手) 震撼力と人の変化は当時私が法を伝えたときと似ています。(拍手) ですから、人を大きく変えました」

  私の理解では、神韻は直接衆生を済度しているのです。1人が見れば、1人が救われるのです。それにしても、まだあまりやる気がないように見える同修がいます。私の理解では、分かっても、分からなくても、迷いの中で信じるのです。はっきりと見え、実在的に理解できてからやっと動くのでは、おそらくその貴さはあまり現れないかもしれません。修煉において漏れるところがあってはいけないのです。

  六、チケットを売ることと、真相を伝えること

  チケットを売る時、真相を伝えるかどうか、どうやってバランスを取るのでしょうか。ある同修は「私はチケットを売るついでに、真相も伝えました」と言いましたが、私は「売ることは売ることだけですよ」と言ったのを覚えています。実は私たちは皆分かっています。チケットを売ることはそれだけではありません。その裏には衆生を済度する内包を含んでいます。しかし私の理解では、大法弟子は皆数年間にわたり、真相を伝えてきたのです。伝えなくても、自然に伝えているのです。口で言わなくても、一言一行、一つの動作、目付き、内から外までの素養と体に携わった場、それら自身がもう真相を伝えているのです。口を開かなくても、もう真相を伝えているのです。神韻の意義は、ただチケットを売ることによって私たちに真相を伝えるチャンスを与えてくれただけではありません。ですから、私は個人的な理解ですが、チケットを売ること自身は直接真相を伝えることではありません。本当に聞きたい人がいれば、本当に興味を持っている人がいれば、場合によって、その人に伝えてもよいのです。神韻自身は衆生を救い済度する一つの方法だと思います。

 七、チケットを売ることと、衆生を救い済度すること

  私の個人的な理解ですが、劇場で神韻を見せるだけでは衆生を救い済度することではないと思います。私達はチケットを売ることによって、広い範囲で接触した衆生、いろいろな方面においてかかわった人は皆救い済度する相手です。それにおける大法弟子のいろいろな表現自身も、大量に衆生を救い済度し、邪悪を取り除いているのです。

  八、チケットを売ること自身も修煉の過程である

  私の個人的な理解では、チケットを売ること自身はただ単に修煉生活の一部だけではないと思います。師父は私達に、大法弟子は法を正す時期において三つのことをしっかり行うように教えてくださいました。多くの同修はもう気付いたと思いますが、チケットを売る前にグループで学法し、グループで煉功し、そして正念を発すれば、その日は割に良くチケットが売れるのです。つまり、三つのことを全部中に入れることが、一番効果が良いのです。常人には「刀を磨くのは柴を切ることを遅らせることではない」という話があります。人手の条件がある場合、1人がずっとそばで正念を発することをおすすめします。疲れたら、皆で順番にやってもいいのです。

  以上はただの個人的な理解です。不適当なところがあれば、どうぞご指摘をお願いします。

  2009年3月12日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/17/193621.html

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