師父はいつも私のそばにおられる
文/遼寧省の大法小弟子・銘銘
(明慧日本)僕は12歳の大法小弟子です。僕のお爺ちゃんと、お祖母ちゃんは1996年に法輪大法の修煉を始めましたが、お母さんは1998年から修煉を始めました。法輪功の迫害が開始された1999年7.20以後、恐怖心の強いお爺ちゃんと、お祖母ちゃんは修煉をやめて、法輪大法の書籍も全部渡してしまいました。しかし、お母さんは確固として大法の書籍を守りました。
嬉しいことに僕は2004年に法輪功を修煉し始めました。当初はあまり精進していませんでした。学法する時間も少なく、心性を修めることとはどういうことなのかもよく知らなかったのです。去年の夏休みになって精進し始めました。僕は毎日午前4時に起きて、煉功、学法、発正念をして、その後『洪吟』を暗記しました。『洪吟』を暗記し終え、写し終えた2日後、師父は僕の身体を浄化し始めてくださったのです。業力が消去される最初のころは、食欲がなく、身体にも力が入らず、階段を上がるときにも息が乱れていました。そのとき、力を振り絞って咳をすると、痰が次から次へと出ました。そのとき僕は全然怖いとも思わず、師父が業力を消去して下さっているのだと信じていました。ですから、僕は毎日学法を続け、お母さんと同修は僕に、あらゆる面において、心性に問題がないかどうかを自分の心の内に向けて探してみるようにと教えてくれました。そこで僕は、闘争心や、顕示心、プライドを気にして、人の意見を受け入れられないなどの執着心を見つけました。僕は師父の写真の前で自分の間違いを認め、徹底的に執着心を取り除くことを誓いました。2日と経たない内に、僕の身体は健康状態に回復したのです。さらに、顔色が以前より良くなりました。
今年の春、僕はお母さんと一緒に、毎晩のように街の通りや、ビルの階段の出入り口、建築現場に真相を伝える資料を貼りに行き、出会った人に真相を伝えました。ある日、お母さんがスイカを買いに行ったとき、スイカを売っている人はお母さんと同郷の人でした。そのときはスイカを買いに来る人が多かったので、その人に真相を伝えるチャンスが無かったのです。夕方になって、お母さんと一緒にスイカ売りの人に真相を伝えに行きました。お母さんが真相を伝え始め、僕は隣で発正念をしました。あまり時間がかからずに、その人は共産党組織からの脱退を宣言して、お母さんが法輪功の真相資料を渡したところ、彼は迷わずに受け取りました。その場所から立ち去ろうとしたとき、彼の妻がやってきましたが、テーブルの上に置いてあった真相資料を見て、罵り始め、資料を後ろの溝に落としました。
僕とお母さんは慌てませんでした。その場でしばらく発正念をした後、お母さんはその女性に真相を伝え始めました。僕は同じく傍らで発正念をしました。あまり時間が経たないうちに、その女性は溝に落とした資料を拾い上げ、自分は文盲で字が読めないから、お母さんに読んで欲しいと言いました。そして彼女は、自分の伯母が法輪功を修煉しているため、警察に連行され酷い迫害を受けていると言いました。ですから彼女は迫害を恐れて、資料を溝に捨てたそうです。お母さんは「大法は素晴らしい!!」と、必ず覚えて下さいねと話しました。
ある日、僕はお母さんと一緒に河へボート遊びに行きました。その河は幅が広く、岸までかなり距離がありました。2時間ぐらい経ってから、僕はトイレに行きたくなりましたが、岸までは遠いため、僕は浅瀬で済ませるするしかありませんでした。浅瀬の周りには数本の草があり、お母さんと数人の同修はその草を掴んでボートを止めていました。小便が終わってボートに乗ろうとした瞬間に、草が根元から抜けてボートが動き出しました。そこで、船尾に乗っていたお母さんが「早く追いかけて乗って」と叫びました。しかし、数歩走ったところで、僕の足が何かに当たり倒れてしまいました。泳げない僕は水中に沈みましたが、数秒と経たないうちに、何かの力が僕を水面まで押し上げました。このとき、泳げなかった僕は泳げるようになり、僕は両腕を振り回し、両足を蹴りながら泳ぎ始め、素早くボートにたどり着きました。
この事を通して、師父はいつも僕を見守って下さっているのだと分かりました。だからこそ、師父の済度に対し、私達は精進して応えなければなりません。そして、円満成就して師父と共に戻りましょう。僕はこれから多くの執着心を取り除き、毎日学法し、煉功し、発正念をして、修煉者の基準で自分を律します。
2009年3月13日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/6/193065.html)
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