日本明慧
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私心を修め、自我を捨てる


文/ 黒龍江省の大法弟子

(明慧日本)私は1998年に幸運なことに法輪大法を得ました。師父の慈悲なるご加護の下で、十数年間修煉の道を歩んで来ました。私はここに協調人をやめた後の体験を書いて交流したいと思います。

 去年6月、私は山東省にある娘の家にいる間に、ある出来事から自分の私心の重さに気が付きました。私は地元で協調人として数年間、困難を乗り越え、多くの大法活動をしてきました。娘の家に来てしばらくして家族から電話があり、自宅に戻らないよう、新しい協調人がすでに選出され、こちらのことは心配しなくてもいい、またあなたは、共産邪党がオリンピック大会前に何かすることを知り、恐怖心から身を避けているのだという同修がいると伝えてくれました。この話しを聞いて、私の第一念は「これは私の心性を向上させるためのことであり、誰が何を言ったとしても私は動揺しません。師父が私を知ってさえいてくださればいい」と思い、同修に感謝しました。しかし、何故このような話があったのかを内へ向かって探しませんでした。

  当時、自分は心性をよく守っていると思い、同修の話を気にしませんでした。娘の家から帰って来て、『明慧週刊』の中にあった「あまりにも自我に執着している」という一言を見て、突然、自分の考えは自我に執着し、すべてが自分のためだと気が付きました。何か私は向上したい、私は心性をよく守りたい、私は・・・・・・如何なる考えも自我を離れていませんでした。私心というものは旧宇宙の属性で、私は旧宇宙の観念の中で廻っていて、まったく抜け出ません。この点が理解できると、私は私心を否定し、私心は私のものではなく、後天にできた観念であり、絶対に解体しようと思いました。

  私は『転法輪』の中のある一段の法を初めて理解できました。「人間は済度し難いものです。 どこの講習会でも五パーセントないし十パーセントの人がついて来られません。 誰でも得道するというのは不可能なことで、修煉を続ける人でも、成就できるかどうかの問題があり、どこまで修煉する決意があるかの問題があります。誰でも佛になることはありえません。本当に大法の修煉をしようと思う人なら、この本を読むだけでも同じ状態が現われ、同じように得るべきものは得られます」 自分は自我からまったく抜け出しておらず、本日この私心を書いて暴露し、解体し、必ず無私無我の大法弟子となり、新しい宇宙の生命に符合します。

  大法に円容し、同修と協力し、共に大法弟子のするべき三つことをよく行い、同修全体が向上し、全体を昇華させます。

  初投稿で、不適切なところをご指摘ください。合十!

  2009年3月14日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/8/196739.html