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1人の犯罪者が法輪大法を修煉するようになった経緯


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)今年38歳になった私は、かつて道を外したことがあります。過去、会社をクビにされ、職を失いました。それからというもの、時々スナックで働き、売春をしたりしていました。2004年にマイホームを購入する資金を獲得するため、彼の勧めで麻薬を密売するようになりました。2005年に麻薬を売っていた時、警察に捕らえられました。私はその際、留置場で2人の大法弟子と出会いました。そこで私は初めて真相を聞き、テレビ、ラジオが流している、大法に対する誹謗中傷が全て嘘だったことを知りました。それから、私は法輪功に対して新たな認識を持つようになったのです。

  私が一番驚いたのは、いつも偉大で正しいと主張している中共が、虚言をもって国民を騙しているということでした。人々に法輪功に対する偏見を持たせ、人々にこの善良な人に対して犯罪行為を行なわせてしまったのは、全て虚言のせいだったのです。大法弟子が真相を説明してくれなければ、私は未だに虚言の中に埋もれていたかもしれません。この善良な人々が刑務所に入れられている姿を、もし、私が実際に目の当たりにしなければ、誰が何を言おうとこのことを信じなかったと思います。

  私が塀の外に居た頃は、法輪功の迫害に無関心でした。毎日、如何に金を儲け、如何に良い生活をすればよいか、また、如何に楽しく、楽に暮らせるかを考えていました。人間に生まれた本当の意味とは何かについて考えもしませんでした。2人の大法弟子に出会ってからは、多くのことを教えられ、多くのものを理解するようになりました。法輪功に対して親近感をもち始めたのです。彼女達と一緒に法を暗記し、煉功し、大法の歌を歌いました。半年経ってから、五式の煉功も覚え、『洪吟』50首、『転法輪』の「論語」を全部暗記しました。この半年は、私の人生の中で最も幸せで素晴らしい時間でした。今、思い返せばその時間に戻りたいとも思うのです。大切にする価値がその時間の中にはありました。

  留置場に入れられた私は,気分がとても落ち込み、鬱々としていました。家族に捨てられるのを恐れていたからです。唯一、生きる力としてつき合っていた彼が必ず守ってくれると信じていました。しかし、それからあまり時間がかからなかったのですが、私は彼に見捨てられてしまったのです。ショックを受けた私は、心に深い傷を負い、自分を傷つけるようになりました。失明する寸前まで自分の目を傷つけたのです。事情を知った2人の大法弟子が走ってきて、心配そうに言いました。物事には因縁関係があり、なぜこの世で苦しまなければならないのか、如何に徳を積めばよいのか、如何に良い人になればよいのかなどについて、たくさん話してくれました。

  耳にしたことのない理を聞いた私の心は次第に穏やかになり、それと同時に過去を後悔し始めたのです。もし、もっと早くから法輪大法に出会えていれば、私はきっと犯罪の道に走らなかっただろうし、自分の目を傷つけたりはしなかったと。もし、いつか出所できたら、『転法輪』を入手し、読み通そうと誓ったのです。留置場に入るのは悪いことですが、私にとっては却って幸運なことだったと思います。なぜならば、大法と出会えたのですから。

  2005年10月、私は服役のため、刑務所に送られました。ここの環境と人間関係は非常に複雑だと思いました。私は目が見えないため、歩行が不自由でしたが、受刑者の中には誰もかばってくれる人はいませんでした。目が不自由な上、新入りでもあり、いつも差別され虐められていました。ここでも大法弟子の助けがあったからこそ、生き延びることができたのです。

  大法弟子が善良で素晴らしい人間であることは、私自身がよく知っています。それなのに、なぜ迫害を受けなければならないのか理解できませんでした。私は見たのですが、彼らは学法と煉功のできる環境を作ろうと努力し、学法や煉功をしていました。刑務官に見つかると、窓ガラスを紙で覆われ、刑務官は大法弟子を殴打しました。刑務官が受刑者に命令して、大法弟子を水道管に一日中吊り下げることもありました。また、湿った地面に長時間座らせたりもしました。大法弟子にいろいろな手段を用いて、心身に対する迫害をしていました。

  刑務所の中の狡猾で腐敗した人間模様を、この目で嫌というほど見てきました。受刑者との金銭的な繋がり、例えば、楽な仕事はお金で買える、刑務所の中の自由までもがお金で買えることなども見ました。その反面、金の無い人は言うまでもなく、重労働をさせられ、虐めの対象になっていました。このような特殊な環境の下でも、私は自分に対して意識をはっきりと目覚めさせなければならないと言い聞かせていました。大法と縁を結んだのだから、修煉しなければならないと思いました。この一念があったから、私は大法弟子と同じ部屋に按排されたのです。

  その目的は彼女らを監視するためですが、現実は彼女達と一緒に学法をさせてくれる環境を与えられたのです。『転法輪』第1講を繰り返し読み、40日間で知らず知らずのうちに『転法輪』を6回通読しました。それから、目の視力が回復しました。2時間以内で1講を読めるようになりました。このことを受刑者に密告されましたが、刑務官の隊長は「あいつは目が見えないのに、そんなことあるはずが無い」と信じませんでした。彼女達と過ごした時間の中で、私は「大法弟子がいる場所こそ浄土である」という印象を受けました。そこでは心が清らかになり、休むことができました。

  もう一つ奇跡的な出来事がありました。私は家族に保釈の申請を依頼しようと思いました。家族は申請してくれましたが、長い時間が経ってもなんの連絡もありませんでした。私は慌てました。慌てれば慌てるほど許可は下りません。2008年初頭、私は保釈に対する執着を放下し、毎日学法に集中して、大法弟子が法を暗唱しているのを聞いていました。すると、奇跡が起きました。医療行為のためなら保釈してもよいとの通知を受けたのです。但し、加えられた条件として、目の精密検査が必要であるとのことでした。私は検査の前日の夜に夢を見ました。一人のお医者さんが検査してくれたのですが、そのお医者さんの姿がはっきりと見えました。

 驚いたことに、翌日検査してくれたお医者さんは、昨夜夢の中に現れたお医者さんと同じ人だったのです。かけているメガネまでもが同じでした。お医者さんは「どうか保釈される希望をもって下さい」と言いました。その1カ月後に、なんと保釈の許可が下りたのです。しかし、家族が記入すべき欄があり、それに記入してから地元政府の印鑑が押されて、初めて出所できるそうです。家族は用事で外出しており、来ることができませんでした。それから数日遅れたのですが、思いもしない誰かが手続きしてくれたのです。

  顔見知りの人が車で迎えに来てくれて、家まで送ってくれました。私には分かっていました。すべては師父が按排してくださったのだと。そして、師父が私の面倒を見てくださったのだと確信していました。ですから師父を失望させてはなりません。家に戻った私がまず最初にしたことは、『転法輪』を入手することと、大法弟子が迫害を受けている真相を伝えることでした。

  私は2008年6月に出所しました。刑務所に3年ほどいました。この目で直に、大法弟子に対する残酷な迫害を見てきました。中共は、対外的には人権を重視した教育を声高らかにうたい上げ、その裏では善良な法輪功修煉者に対して、人権を無視した酷い迫害をしているのです!

  2009年3月16日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/1/1/192674.html