日本明慧
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常に正念を保持することについての体験


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)長い間、面と向って真相を伝えることがよくできていませんでした。自らの間違いは分かっていましたが、いったいどこに問題があるのかは分かりませんでした。ある日、私は第5回法会の交流文章を見ました。同修は自分の店で真相を伝える話を書いていました。他の同修が彼に「あなたは警察官に捕まるのは怖くないのか」と聞くと、彼は「私の考えの中に彼らが入る隙はない」と答えました。

 「考えの中に彼らが入る隙はない」この話が私の心に深く印象に残りました。そうすると警察官達の妨害もなくなります。「私はなぜ突破できないのか、私には何の執着心があるのか」と、細かく自分の考えを分析してみました。いつも(真相を)話している時、言葉使いが比較的悪く、理には適っていますが、良い効果が出ず、逆の結果になってしまいます。こんな状態で真相を伝えたら、常人に悪いイメージを与えてしまい、これは大法を破壊しているのではありませんか。自分のせいで常人が大法に対して悪いイメージを持ったら、これは業を作っていることになるのではないでしょうか。このようにして、いろいろなことを気にして、良い環境が整っていなければ真相を話しませんでした。その他、私は理工科を専攻しているので、物事に対して全て原因と結果を考えていました。道理をはっきりと説明し、常人が戸惑っていたらなんとか全部理屈で解釈しようとします。時には道理をはっきり説明しても、相手は結局まだ受け入れてくれませんでした。この時、常人の考えで問題を考えており、準備は十分にしましたが、結果はあまりよくありませんでした。時には、正念を持つべきだと思いつきますが、少し時間が経つと忘れてしまいました。

 同修の文章を見て、再び私の神の念が呼び起こされました。頭の中で自分の言葉を気にかける心がなく、衆生を救い済度する心だけあれば、語気が弱くなるわけがありません。常人社会での因果関係で問題を考えるのではなく、正念で因縁関係を見抜けば、常人の思惟論理に陥るわけがありません。これらが分かってから心に塞がっていたものがなくなって、軽快になるのを感じました。

 自分の正念を強めるため、そして類似した問題に当たっている同修の参考になればと思い、自分の体験を書き出しました。

 2009年3月18日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/3/15/197176.html