日本明慧
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法に基づいていれば、できないことは何もない

(明慧日本)最近数年来、私はどの大法の仕事をしてもだいたいできました。幾つかの大きいプロジェクトもよく行っており、したければよくできて、智恵が絶えず生じるのを感じました。同修達も私に「能力がある」と褒めてくれました。実は、私ははっきり分かっています。私の学歴、能力のおかげではありません。真に大法を修煉していて、自分自身を実証するのではなく、内心から師に遵って法を正し、衆生を救い済度することを願っており、出発点が大法に立っているため、師父と正法の神が一切を与えられたのです。

 私は、どの大法弟子も同じで、みな同様の力を持っているとはっきり分かっています。ただ大法の仕事を行う中で、心が清らかになっておらず、私(し)のための要素があり、旧勢力に隙に乗じられたのです。同修達と協調している過程で私は、毎回プロジェクトの中で同修達の執着心がプロジェクトにマイナスの影響を生じさせることが分かりました。表に現れる形式としては、言い争い、お互いに認めない、嫉妬するなどで、全て私(し)のために生じた現れです。

  毎回プロジェクトを行う時、私は全部心を込めて、真剣に行います。真心と無私の心で大法の仕事を行えば、師父と正神の加持を得られ、できないことは何もありません。実は、真に行っているのは師父と正神です。私達は、ただ常人のこの空間で力を出しているだけです。しかし、常人のこの空間で私達は必ず全力を尽くして行うべきです。

 発正念をし、心が正しければ十分で、多く仕事をする必要はないと言う同修がいます。私は過激な考えだと思います。常人のこの空間でも努力は必要です。修煉者として、常人のこの空間で良く行うだけではなく、常人よりもっと良く行うべきです。これこそ宇宙の「失わなければ得られず」の道理に合っています。これこそ大法弟子としての姿を表せるのです。真に正念が足りる弟子は大法の仕事をいいかげんにするわけはありません。これが、大法弟子が仕事をすることに対する私の体験です。

 2009年3月19日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/17/197324.html