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70才近い老人が迫害されて死亡(写真)

(明慧日本)広東省佛山市南海区の法輪功修煉者・馬秀蘭さん(69歳女性)は2008年6月19日、中共の警官により南海留置所へ強制連行され、迫害された。半年間不法に監禁された後2009年1月6日、留置場は突然馬さんの家族に、馬秀蘭さんを家に帰すから広州武将警官病院まで迎えに来るように通知した。家族は、馬さんの病院での検査結果はすでに治療できない状態であることを知った。全身に腫瘍が拡散していて、すでに末期だった。馬秀蘭さんは3月16日冤罪が晴れないままこの世を去った。

迫害される前の馬秀蘭さん
迫害された後の馬秀蘭さん

上記は馬秀蘭さんが迫害される前後の2枚の写真であるが、まったく別人に見える。迫害される前は元気いっぱいで明るかったが、半年間迫害された後、やせてごつごつしている。

 馬秀蘭さんの出身は山東省である。2人の娘について広東省佛山市南海区に来てからすでに10数年間生活した。10数年前、馬さんは全身が病気だらけだったが、法輪功を修煉してから、病気がなくなって元気になり、心も穏やかになった。1999年7.20、中共が天地を覆い隠すように、法輪功を誹謗中傷したとき、法輪功の修煉により自ら受益した馬さんは、法輪功の無実を証明するため、毅然として北京へ真相を伝えに行った。しかし、山東省に護送されて、不法に監禁された。南海へ戻った後、また南海市の「610弁公室」により、順徳洗脳クラスに強制連行されて2カ月間迫害された。数年間にわたり、警官は常に彼女に対して、監視、尾行し、何回も不法に家宅捜査を行った。

 2008年6月19日、馬さんは南海畳ヤォウにて真相資料を配布していたとき、畳ヤォウ派出所の警官に強制連行され、その後、南海派出所に不法に監禁されて、人間性の全く無い数々の虐待を受けた。例えば、強制的にコンクリートの床に寝させたり、拷問されながら自白を強いられたり、電撃棒で電撃されたり、また殴られて身体の至る所に傷を負った。馬さんの身体はますます悪くなり、ますます痩せこけ、ますます衰弱し、最後にはもう食べることも、飲むこともできなくなり、排便もできなくなって、顔はやつれていた。留置場は終始、馬さんの状況について、彼女の家族に通知しなかった。家族はあちこちを訪れ、馬さんの状況を尋ねようとしたが、中共の関連部門はわざと彼女の状況を隠し、家族から送られたお金や物品も馬さんに渡していなかった。ひいては家族に通知せず、不法に馬さんを法廷で審判しようとした。

 馬さんは迫害されて意識がはっきりせず、歩くこともできない状況化で、警官二人が強制的に馬さんを支えながら、不法に開廷して尋問を行った。裁判官は馬さんに、少なくとも3年の刑を言い渡すと言いふらした。警官らはずっと馬さんの家族に開廷時間を知らせず、また開廷時間をずっと変えていた。2008年12月3日、馬秀蘭さんの家族は裁判所に開廷時間を尋ねるために訪れたところ、当日の午後に開廷すると知らされた。しかし以前、検察院は裁判日は12月22日に決まったと言っていた。

 12月3日午後3時ごろ、馬秀蘭さんを乗せたパトカーは裁判所の入り口に止まり、家族は馬さんが以前よりとてもやせている姿を目にした。馬さんは骨と皮しか残っておらず、ほとんど本人とは見分けられなかった。馬さんの娘が馬さんを呼んでも、彼女はすでにもうろうとした状態だった。馬さんは警官により裁判所に運ばれ、開廷が始まった。家族は高齢である馬さんの状況が心配で、直ちに裁判所に病気のための一時出所を申請したが、裁判所により拒否された。

 2009年1月6日、馬秀蘭さんの娘は留置場から、広州武将警官病院に馬秀蘭さんを迎えに来るように通知を受けた。家族は、病院の医療関係者に馬さんの病気状況を尋ね、病歴をもらおうとしたが、拒否された。警官は馬さんの家族が医療関係者と接触することを禁止した。家に帰ったとき、馬さんはすでに気息奄々としていて、身体の半分がすでに知覚を失っていた。家族はすぐ彼女を病院に送って、治療しようとしたが、検査の結果すでに治療できないと判断された。

 馬秀蘭さんは3月16日、冤罪が晴れないままこの世を去った。

 (注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)

 2009年3月20日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/18/197365.html