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修煉の中で動揺せずに成熟して歩む(一)


文/河南省の大法弟子

(明慧日本)

 一、喜ばしいことに法輪大法を修煉し始めた

 私は小さい時から宇宙に対してとても興味があったので、終始神佛に対するある種のあこがれがありました。幸いなことに、私は法輪大法と出会うことができました。私が17才の時のことでした。母が法輪大法を修煉し始めていたので、私は大法の書籍を見たときから今まで、十数年間も探していた宇宙と人生に対する解明できなかった謎の答えを、一挙に得ました。当時、とても嬉しかったのですが、学業がとても忙しいため、経文を読むだけにし、高校を卒業してから修煉を始めようと思いました。しかし、そのときからすでに慈悲で偉大なる師父は、私を見守ってくださり、身体の中でいつも法輪が回転していると感じていました。

 1998年に高校を卒業後、基礎がよくできていなかったため、志望の大学に受かりませんでした。同級生たちはみな浪人の道を選びましたが、しかし自分はうすうすと何かを感じていて、浪人すれば学業に追われるから、修煉に影響を与えると思い、やはり一般の大学を選んで我慢しました。私は浪人することをやめて、しっかりと修煉しようとして煉功場に入ったとたん、天目がぱっと開き、古代の小人や、山水の風景を見ることができるようになりました。私は、これは私を邁進させて修煉を続けさせるための師父からのご褒美だと分かりました。

 大学に通いはじめてから 煉功拠点を探し当て、みんなと一緒に学法をし、煉功し、互いに切磋琢磨し合って交流することで次元の向上が速くなり、とても幸せなひと時を過ごしていました。しかし、私たちが集団で修煉して半年経ったころの1999年7.20、邪悪な中国共産党が迫害し始めました。

 二、師に遵って法を正す

 邪悪が迫害を開始してから、私と同修は師に遵って法を正す道を歩み始めました。陳情するために市の委員会、省の委員会に行ってみましたが、問題は解決される見込みがないと判断し、法を守るためには北京へ行くしかないと同修たちと協議し、決行することを決心しました。その時、私の天目はその他の空間の正真正銘の法輪を見ることができ、それで北京行きへの自信を更に深めました。

 1999年10月に私たちは師父のご加護のもとで北京に着きました。10月の北京はすでにとても寒く、私たちは何も持っていない中で、しかたなく街頭で野宿しようとしました。そのとき、信じられないことに現地の同修がやって来て、私たちを宿泊できる所まで案内してくれました。北京で、私たちは全国各地からやって来た多くの同修に会いました。彼らとの間で感動的な出来事が多く、正念を強く持った修煉者の身の周りには、いつも大法の超常的な現象が顕現し、同修たちは天安門広場で法を守る壮挙を交流し合ったり、正念で牢獄から抜け出した体験談を語り合ったりしました。北京にいる間、限られた財力の中で節約するために、私たちは毎日饅頭や漬け物だけで我慢していました。しかし、ちっとも苦に感じることがなく、同修と一緒に切磋琢磨して交流し合い、北京に滞在している期間中、みんなが自分を高め、昇華したと実感していました。

 北京から帰って来て、大学側は(中共への)恐れのため、私に退学を強要しました。しかし、私の大法に対する信念は少しも動揺しませんでした。私と母は前後4回に渡り北京へ行き、いずれも生死に執着しませんでした。私は、最終日についに天安門広場で『法輪大法好』の横断幕を掲げることができました。そして師父のご加護のもと、無事に帰って来ました。最も困難で苦しい時、師父の「大覚は苦を畏れず、意思は金剛の鋳、生死に執着無く、坦蕩たり正法の路」(『洪吟二』「正念正行」)を思い出すことによって、信念を固められ、関門を一つ一つ乗り越えることができました。

 (続く)

 2009年3月21日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/14/197113.html