日本明慧
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私は大法を修煉しながら、成長している


文/山東省の大法弟子

(明慧日本)1994年、9歳の時、私は嬉しいことに法輪功の修煉を始めました。今年大学3年生です。私は、師父がこれほど貴重な宇宙の大法を私に伝授してくださったことにとても感謝しています。しかし、また自分がこれほど貴重な時間と機縁を大事にしてなかったことを残念に思っています。私はずっとあまり精進していませんでした。万古の機縁はまさしく一瞬です。ここで私は真心から、自分そしてこの万古の機縁を本当に大事にしていない同修が、三つのことをしっかり行い、大法の中で着実に自分を修めることができるよう切に望んでいます。

 小学校1年生から現在まで、私はずっと大法を学んでいます。私は一人の学生として、必ず真面目に勉強しなければならないということを深く理解していました。私はとても聡明な学生ではありませんが、ずっと努力して勉強していました。師父もかつてこの方面の説法をされたことがあります。私は小学生の時、学法はとても少なく、ただ母に催促されて、毎回1ページか、2ページだけを学び、その時はただ自分によい人になるように要求していました。成長するにつれ、中学校に入ってから、私は自ら学法することができ、学校が終って家に帰ると動功をしました。夜は、自分のベッドの前にカーテンを引き、静功を煉りました。そうすると同じ部屋の他の人には影響がなく、効果もとても良いと感じました。学法の面では、時には懐中電灯をつけて、布団の中で法を勉強しました。教室に人がいない時は教室で読み、ただ自分が学法しようと思う心さえあれば、必ず学法ができるように、師父が私たちにその機会を按排してくださるということに気づきました。

 7・20以降、天地を覆い隠すかのようなデマが人々を毒害し、私の同級生たちも毒害されました。私は身辺の数人の仲のよい友人に真相を伝えました。彼らは常に私と付き合っていたので、私がよい人であると知っており、ある程度真相を理解できました。しかし私が通っていた学校には学生が多く、真相を聞いたことのない人がとても多くいたのです! 私は黙々と正念を発し、すべての学生たちが真相を知ることを妨害するすべての邪悪要素を根絶し、すべての学生が救われるよう望みました。

 絶えず学法し、着実に自分を修煉することにより、私は少しずつ分かるようになりました。人間、特に修煉する人は何かに出会うと自分に向けて探し、必ず内に向けて探すべきで、どんなこと、どんなトラブルに対しても自分にそれが見えたらそれは偶然ではなく、必ず心を静めて自分に向けて探さなければなりません。真に内に向けて探し、絶えず自分の執着心を見つけ出し、そして、それを取り除いて、初めて自分の心性が向上してきます。

 かつて一度、学校が終って家に帰ると、こんな出来事がありました。叔父一家が私達の家の田畑を借りる契約をしようとしました。借り賃は毎年350元です。もし小麦を植えるとまた毎年ある程度の補助金がもらえます。問題になったのは、私の家が補助金を請求するならば、叔父の妻は我が家の田畑を借りないということでした。このことのため、叔父一家3人とうちの家族は口論をしました。母は当時自分が修煉者であることを忘れて、彼らと口論しました。激しい口論の後、何の結論も出ず、彼らは帰って行きました。私は穏やかな心で母と交流しました。すると母は突然このようにしてはいけないと分かり、私たちは修煉者であり、衆生を救い済度することを目的としているのに、どうして衆生と口論をするのか、衆生に対して慈悲をもってこそ、初めて衆生を救い済度することができる、と分かりました。そして、母はすぐ叔父の家に行き、彼らに50元を譲り、補助金もいらないと伝えました。彼ら一家は喜んで母を正門まで見送ってくれました。母はこの時になってやっと心性が向上してきたと感じました。私と母は、いかなることに出会っても、すべて偶然ではなく、すべては私たちの執着心を取り除くためにやってきたのであり、その時自分に向けて探し、自分の心に向けて探し、執着心を見つけ出し、それを取り除いて、初めて真に自分が向上できるということを悟りました。いかなること、いかなるトラブルに出会っても、自分を修めるだけでなく、さらに衆生を救い済度することを忘れてはなりません。

 ここ数年間、大法を修煉しながら成長する中で、私は一本の最も正しい道、絶えず自分をより清浄に向かわせ、自分を向上させる修煉の道を歩んでいると真に体得できました。

 初めて書いた体験談です。不適切なところにつきましては、同修の慈悲なるご指摘をお願い致します。

  2009年3月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/17/197302.html