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根本的な嫉妬心を取り除く


文/北米の大法弟子

(明慧日本)最近の修煉において、大法弟子として行うべき三つのことをよく行っていませんでした。一日中悶々として心が乱れ、心性も守れなくなっていました。根本的な執着心が作用していることは、少なからず気づいていました。だからこそ、修煉状態が良くないのも分かっていました。今日、明慧ネットに掲載された、同修の嫉妬心に関する修煉体験談の文章を読み、突然、心が開けたように感じ、「私にも根本的な嫉妬心があったのだ! それを根こそぎ取り除かなければならない」と悟りました。そこで、私も嫉妬心についての最近の修煉状況を文章にまとめ、同修たちと交流したいと思います。

 『転法輪』の中の「嫉妬心」という一章節を学法した時、あまり重要視していませんでした。自分にはあまり嫉妬心が無いと思っていたので、有るにしてもたいした事ではなく、修煉の障碍になるようなことは無いと思っていました。そして、自分はいつも嫉妬される対象であり、他人に対しては嫉妬するはずが無いと思っていました。同修の修煉体験談を読み、自分の内に向けて根気強く探した結果、私にも強烈な嫉妬心があったことが判明しました。それは、私の修煉の次元を高める最大の障害となっていたのです。

 師父は『転法輪』の中で、「嫉妬心という問題はかなり重大です。なぜならそれは、皆さんが修練して圓満成就できるかどうかと言う問題に直接かかわってくるからです。嫉妬心をなくさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになります。ここには一つの決まりがあります。すなわち人間は修煉のなかで、嫉妬心を無くさなければ正果を得られないもので、そうしなければ絶対に正果を得ることはできないのです」と説いて下さいました。私の嫉妬心の現れは、人を見くびること、自分は人より偉いと思っていたことでした。自分の名利が損なわれたときには、心中穏やかではありませんでしたし、自分の闘争心、顕示心、歓喜心が嫉妬心の影響で、長期にわたり完全に取り除かれていなかったのです。ですから、私の修煉状態はあまり良くなく、自分の昇華が阻まれ、以上の執着心が原因で、大法弟子として行うべき三つのことを完璧にできなかったのです。

 学生の頃、自分は他のどの同級生よりも、よくできると思っていました。先生が他の生徒を褒めていると、私が一番良くできているのだから私が褒められるべきだと、心のバランスが取れなくなり、落ち込んでしまいました。毎年の学期末には優秀な学生(政治思想、労働態度、学業など)を選出するのですが、いつも選ばれることがなかったのです。選ばれなかったのは、彼らの私に対する嫉妬のせいであると勝手に思い込み、自分自身を納得させていたのです。しかも資格テストを受けたときには、皆が合格していたのに、私はいつも不合格でした。今思い返せば嫉妬心がそうさせたのです。そのとき、師父は幾度も私を悟らせようとしてくださいましたが、難の中にいた私は悟ろうとせず、それが修煉の昇華を阻む強大な壁となっていたのです。

 私は、衆生を救い済度するためのマスコミチームに参加しました。ここでも嫉妬心が強烈に現れました。私が書いた報道記事に対して、編集部はいろいろな意見を述べ、編集長が私の文章を幾度も手直ししたとき、自分の文章に自信をもっていた私の心はバランスがとれなくなり、嫉妬し始めました。内に向けて探すのではなく、言い訳として、「編集部の人たちは自分を実証するために、私を困らせようとして、わざと記事にけちをつけている」と思うのです。大法のプロジェクトを実行するのは衆生を救い済度するためであり、決して自分を実証するためではありません。他の人が違う意見を言うと不平不満に思うのは、師父が常に取り除くようにとおっしゃっていることではありませんか? それは修煉者が最も取り除くべき嫉妬心ではありませんか?

 家庭においても嫉妬心はもっと顕著に現れました。今まで周囲の人は私のことを何でもできる強い人間だと思っていました。それで自信過剰となり、夫のことも見くびっていました。自分の意見と合わないとき、直ちに相手を否定し、常に自分の意見がいかに正しいかを立証してきました。主人(常人)は何度も不満げに「きみは自我を強調しすぎる」と言いました。親戚との付き合いにいいてもよくトラブルが起きました。私はいつも従妹より自分の方が偉いのだとの思いから、従妹とその家族に批評された時などは、自分の内に向けて探すのではなく、いつものように、それは彼女達の私に対する嫉妬であるということで済ませていました。落ち着いて内に向けて探してみれば、相手の嫉妬ではなく自分の嫉妬だったことが分かりました。

 根本から掘り出してみれば、今まで存在しないと思っていた嫉妬心が、恐ろしいほど強烈だったとは思いもしませんでした。まさに「嫉妬心をなくさなければ、人の修煉した一切の心が脆弱なものになり」と、師父が説かれた法に対する理解をより深めました。私ごとで言えば、嫉妬心を無くしていないため、修煉によって合格した部分が脆弱なものとなり、取り除いたと思っていた執着心が嫉妬心に誘発され、再び現れてきました。ですから、師父が再三にわたり、嫉妬心を取り除くために悟らせようとして下さったのです。修煉は最終段階の時期を迎えました。嫉妬心を根本から暴き出し、根こそぎ取り除きましょう!

 2009年3月22日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/31/192628.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/1/9/103756.html