日本明慧
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「三つのこと」をしっかり行う中から奇跡が現れる


文/中国大陸の大法弟子 心広

(明慧日本)法を正す時期の修煉の中で、私は大法の奇跡を大いに感じており、同修の皆さんも同じだと思います。例えば、きょう自宅で同修と大法の事を相談し終わってから、学法を始めました。しばらく学法して、突然電話の回線をまだそのままにしていて繋いでいなかったことに気付きました(相談するときに安全を考慮してわざと回線を抜いていた)。私は電話線を繋いでから、まだそこを離れないうちにすぐ電話が鳴りました。ちょうど会社から急用で連絡が来て、私は迅速に対応したため常人の仕事も上手く処理できました。

 このような例はとても多いのです。特に法輪功の真相を説明する時に、いつも予想外の奇跡が起きたり、なにか技術の問題に陥った時にインスピレーションが湧いて来たり、真相資料を配布する時に邪悪の妨害を避けられたりして、ますます大法の超常さを感じました。

 奇跡が表れる主な要因は、三つのことをしっかりした結果だと思います。一つは学法を堅持すること、もう一つは自分の力を尽くして人を救い済度すること、またいつも内に向かって探して、協調の仕事をよく行い、そして発正念を絶えずすることです。

 言えばたくさんあると思いますが、しかし問題の中核は自分の心をしっかり修めることだと思います。

 「大法(ダーファ)は衆生を圓容していますが、衆生も大法(ダーファ)を圓容しています」(『精進要旨』「道法」)と師父は説いておられます。私たちがしっかりと大法に同化して圓容さえすれば、法は我々を圓容することができて、その奇跡を感じさせてくれます。もう一つは、大法が我々にその奇跡を体験させて、弟子に自信をもたせ、世間の人々に大法の超常さを実証します。我々は大法の超常さを体験した以上、躊躇せずに「三つのこと」としっかりするべきです。

 私はもともと邪悪に注目されている重要人物であり、以前は大法勉強会の責任者を務め、不法に連行されて2年間迫害された事があります。正念を持って留置場から出てきて、現在7年が経ちました。私は「三つのこと」をしっかり続けて、どれもできるだけしっかり行うようにしています。今日に至るまで、私が精進するにつれて、邪悪は最初の密着した監視から徐々に私の事を忘れていきました。

 時には私も人心がたくさんありますが、とても困難なことであっても、発見次第それを否定し、根絶しています。例えば旧勢力が一番重視すること、そして大法弟子を迫害する最大の口実は、色欲です。この色欲の心は私の生命の中で最大の執着であり、私は反復して何回も修めていましたが、無くしてからもしばらくすると再び表れ、毎回勢いが強く、根絶することができませんでした。それから、次第に私は完全に大法の基点に基づいてこの心を見破って、忍に従って、色欲があふれる今の社会の中で、冷静に自分の色欲の心に向かい合い、思い切って、その執着が表れた途端にすぐ凌いで消滅しました。何度も繰り返して、その心が弱くなり、なくなるまで続けました。大法は本当に熔けた鋼のように私の執着を溶かし、小さい木屑を溶かすように容易です。 

 また、恐怖心を無くすことも同じで、毎回真相資料を作り、真相を説明したりする時に、邪悪の弾圧に対して恐怖心が沸いてきた途端に、それを凌いで消滅します。「忍の中には捨がありますが、捨てることができるのは、修煉の昇華です」(『精進要旨』「漏れるところなし」)、「忍の中には捨(しゃ)がありますが、捨て尽くすことこそ、漏らすことのない、さらに高い法理なのです」(『精進要旨』「圓容」)と師父は説いておられます。心を修めて、執着が小さければ小さいほど、邪悪が漏れを掴んで隙に乗じることができなくなり、我々の奇跡も多く表れます。本当に互いに支え合うことです!

 大法弟子の奇跡は心を修めて欲を断つこと、三つのことをしっかりすることから表れます。私の家でも資料の製作をしており、携帯電話にショートメールを発するソフトを入れて、人を救い済度しています。私は同修と現地の全体を協調しており、常人社会の中、家庭、会社をも圓容しており、同修の事を手伝い、真相を説明しています。もろもろの事をする中で、次第に自分の心の容量が大きくなり、奇跡、すばらしいことも体験しました。

 同修よ、特に躊躇って、傍観している同修よ、私は心から伝えます。くれぐれも今回の機縁を失わないで、人心に自分の道を阻止されないでください。「時間は人を待ちません!」(『再度、ヨーロッパ法会の円満な成功をお祝いする』)と師父はおっしゃいました。大法が末法時期の常人の中に現れ、師父がそれをもって我々の主元神を済度しておられます。環境が複雑になればなるほど、われわれの不足を暴露することに有利で、早く向上することができます。もし、この複雑な環境がなくなったら、そのとき向上することは遅く、もう終わってしまうのです。

 また、もう一つ言いたいのですが、私は佛教で数年かけて修めた事がありますが、今日の大法修煉の中で収穫したことはその千年、万年よりも大きいのです。これこそ真の向上です。真の師父は『法輪大法』の中におられます!

 以上の体得について、妥当でないところはご指摘ください。

  2009年3月24日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/10/196904.html