日本明慧
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自我を突破し、頑張って追いつく


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)修煉を始めて5年、多くのことを体験しました。毎回の関や難は、師父の慈悲深い保護なくしては乗り越えられませんでした。私は最近の修煉経験を書いて同修と交流したいと思います。足りないところがあれば慈悲なる指摘をお願いします。

 内に向って、矛盾を消す

 オリンピック期間中、村の幹部は中共の指示に従って我が家に来て嫌がらせをしました。オリンピック中に両親は外出禁止となり、家で修煉するようにしました。母は彼らに真相を伝えました。私も母に協力して真相を話そうとしましたが、父は私を制止して他の部屋に行かせました。私は父の正念が足りないことが不満でした。翌日、父は病業の形で苦しみました。父は病を放下できず、こっそり薬を飲みました。私は父に、「病に執着してはいけない、放下すべきだ」と告げました。私の言葉には情と恨みがあり、父はちっとも聞こうとしませんでした。私は父に偏見を持ち、目に見えるのは全部父への不足でした。これほどまでに邪悪は不正な要素を強化し、矛盾は更に大きくなりました。最後には父と話したくもありませんでした。

 母(同修)は私に、内に向けて探すように言いました。私は聞こうとしないばかりでなく父の非をいっぱい話しました。ある日、家の自転車のタイヤがパンクして、父に頼みましたが、父は手が痛くて修理できないと言いました。私は機嫌が悪くなって、どうしても父に修理してもらおうとしました。父も急に「この子はまったく! 手が痛くなかったら、修理しないはずはないだろう!」と言いました。私はその時、胸がどきっとしました。そうだ、私は彼の前では息子なのに、こんな無礼をしてはいけない。これも不孝で、私は修煉者なのにどうしてちっとも他人の気持ちを考えていないのか。同修が邪魔されている時に、正念で加持してあげるのではなく、正念が足りないと嫌がっているなんて。これは旧勢力が望む結果ではないか。旧勢力は私達にめちゃくちゃになってほしいのではないか。ここまで認識したら、私は全く機嫌が悪くなくなり、慈悲をもって父に「自転車を修理しなくてもいいよ。でも、横にならないで煉功しましょう」と話しました。父は喜んで「それもいいなあ」と言いました。本当に師父が説かれた通り、「一正を念ずれば悪は就(すなわち)土夸(こけ)る」(『洪吟二』「怕口舎(しゃをおそれる)」)。

 病業の関を乗り越える

 「病業」、これは旧勢力が大法弟子を迫害する最も普遍的な手段の一つで、ある同修は甚だしく病業の形で命を奪われました。また、衆生が救われることを妨害します。私達はこのような邪魔を認めてはいけません。 

 この間、私にもこんな邪魔が現れました。ある日、わたしはトイレで大便しましたが、全部血だらけでした。私はあまり考えませんでしたが、母と同修一人に話しました。彼女達はこれは身体浄化だと認めました。私は内に向って探さず認めませんでした。「私は5年間修煉したのに身体浄化ってあり得ない。身体は師父がずっと前に浄めてくれた」。嫉妬心が強烈に表われ、他人の悟りが違うと笑いました。一週間後に病業の現象がまた現れました。今回は私は目が覚めました。師父は『ロサンゼルス市での説法』で「あなたがぶつかったいかなる問題も単純でも、偶然でもなく、常人の中の問題ではありません。必ず修煉に関係があり、あなたの向上に関係があるのです。」とおっしゃいました。私は内に向って探しまし、先日のことを思い出しました。常人と身体の健康面について話していましたが、自分が彼女達より健康であって、嬉しく、得意満面でした。師父はまた、「大法弟子にとって、あなたがすでに大法弟子なので、ほかはすべて、重要ではありません。」と説かれましたが、自分はまた常人の健康を求めており、顕示心に歓喜心を加えて、魔に隙に乗じられました。自分が行なった事は師父の要求と遥かに離れており、恥ずかしいことです。師父は「この法がこれほど大きいのに、あなたを済度できないなんて、考えられません。」(『ロサンゼルス市での説法』)と説かれました。

 私は努力して法を学び、法をよく学んで自我を突破すべきであると分かりました。神の道で頑張って追いつき、「最後になればなるほど、緩めてはならず、最後になればなるほど、法をさらによく勉強し、正念を充分に持たなければなりません。 」(『カナダ法会へ』)

 師父に感謝いたします。同修に感謝いたします。合掌。

 2009年3月24日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/22/197585.html