日本明慧
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師父を信じ、法を信じて、正念で病業の関を乗り越える


文/中国大陸の大法弟子

(明慧日本)私は1997年に法輪大法を修煉し始めました。十数年間、度重なる魔難や苦労の中で歩んできました。

 私が話したいのは、2007年に突然やってきた『病業』の虚像を乗り越えたことです。ある朝、煉功をした後で朝ごはんを作ろうとガスをつけましたが、急に頭が痛くなり、ガスを消そうとする時に気絶して倒れてしまいました。気が付くとガスコンロ、油入れが全部倒れていました。起き上がるとムカムカするのでトイレに行って吐きましたが、全部血でした(普段こんな病業は経験したことはない)。血は止まらず、トイレの壁まで血まみれでした。

 突然のことでしたが、私は落ち着いており、恐怖心はありませんでした。その時、「師父が私を助けてくださる。私は旧勢力の按配を認めない。生死は師父が按配されるものだ」という考えが浮かびました。

 ひとしきり吐いたあと、私は煉功をして神の一面が作用するようにしました。煉功中にまた三回吐きました。力が入らず、妻に師父の講習会の録音テープを聞かせてもらいました。午後になって少し体調が良くなりました。夜8時から9時ごろ、2回血だらけの大便をし、翌朝も2回血だらけの大便をしましたが、私は気にせず普段通り煉功しました。

 私は修煉者には病がなく、これは全部うわべの現象であることが分かりました。私は魔難に遭ったとき、自分が修煉者であることを思い出しました。このように師父の慈悲なる保護の下で私は歩いてきました。とりわけ年寄りの同修は、師父が延ばした私達の命を修煉に使うべきです。正法が終わりに差し掛かりました。必ず師父を信じ、法を信じるべきです。私もこのことを通じ、師父がまた私を引っ張ってくださったのは、私が向上し、修煉の道をよく歩くようにするためである事を悟りました。

 同修達よ、私達はこの万古の機縁を大切にすべきです。強大な正念、つまり神の一面が作用を発揮し、修煉上の成熟面を慈悲で偉大なる師父にお見せして安心させましょう。 

 これは私個人の悟りです。間違ったところがあれば同修達の慈悲なる指摘をお願いします。

 2009年3月25日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/22/197595.html