日本明慧
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一元の中にも心性の現れがある


文/湖北省の大法弟子

(明慧日本)私は買い物をする時など、人と接する機会を利用して常に真相を伝えています。もしおつりを多くもらったり、物を多くもらったりしたら、私は直ちに相手に返し、真相を伝えます。でもある日、おつりが1元多かったことに気付いたにも関わらず、私はそのまま家に帰りました。私はこの一元にも心性の問題が含まれていたとは考えてもいませんでした。

 近くに惣菜を売っている店があります。ある日、同修の家族が病気に罹り、鶏の胃袋が食べたいと言うので、急いでその店に行きました。店のメニューに2元/個と書いてありましたが、私はその時、細かく見ていませんでした。男性の店主は初顔の私が急いでいる様子を見て、一個3元だと嘘をつきました。私は8個買ったので8元多く支払いました。数日後、私が再び買いに行った時、本当のメニューの価格が分かったので、男性の店主を非難しました。彼はとぼけて3元で売ったことはないと言い張ります。私はこの時、修煉して間がなかったので、心性を修めるとか、口を修めるとかを理解していませんでした。さらに、私は前世で彼に借りがあり、その業を消去するためにこのような状況がもたらされていたことも分かりませんでした。それで彼と言い争い、彼を罵ったのです。店主は理屈が通らないのでその場を去りました。そして女性の店主が出て来て、再度怒りながら主張しました。私が前回買い物してから数日経っていたので、彼らは当然認めません。私は心のバランスが取れなくなり、長い間その店で買い物をしませんでした。

 最近、私はまたその店ににがりを買うために行きました。一袋0.5元で10袋買いました(合計5元)。私は100元支払いましたが、90元しかおつりを渡されませんでした。私は気分を害し、女性の店主も腹黒いのではないかと考えました。でもすぐ、自分が修煉者であることを思い出し、気分を害してはいけない、そうでなければ忍に符合せず、非難したら善にも符合しないと考えました。そこで私はおつりをもらい、女の店主に向けて笑いかけました。彼女は直ちに「すみません。間違えました」と笑顔で6元返しました。5元を返してもらえば良かったものを1元多くもらってしまいました。

 この時、私は心性を守りきることができませんでした。私は「この前、男性の店主に8元余分に取られ、さっきの彼女は5元も余分に騙し取ろうとしたのだ。今日はこの1元を返さないでおこう」と思い、そのまま帰りました。

 一日、二日が経ちましたが、心はそのことで落ち着きませんでした。師父は厳かに「私達は心性を守らなければなりません。相手は間違っても良いのですが、私達が間違ってはいけません。」(『米国中部における説法』)と教えられており、この言葉に諭されました。確かに、あの店の二人は少し腹黒いかもしれません。でも、現在の常人社会は全てがこんな状態ではありませんか。相手は常人なのでこの次元、この境地にいるのは当然です。私は大法弟子で、修煉者であるにもかかわらず常人と同じ考えでいました。彼らは私のお金を多く騙し取り、私も多くもらったお金を返していません。これは、常人社会で「悪人が悪人を騙す」ことと何が違うのでしょうか。これでは自分を常人と同じように見なしているのではないですか。それに相手も故意ではなく、忙しくてそうなったのかもしれません。なぜ私は他人が悪いと常に考えるのでしょうか。

 私は心を落ち着けて、内に向かって自分の問題を探してみました。結果、様々な執着心が見つかりました。闘争心、相手を恨む心、利益を求める心、損なうことを怖がる心、小さなことまであげつらう心、常人の中の理に執着する心など。師父はまた「執着心であるかぎり、それを取り除かなければなりません。」「心を修めなければ誰も成就できるはずがありません。」(『転法輪』)と説かれています。さらに、常人は修煉者の振る舞いを見ます。もし私達が大法の要求と修煉者の心性基準に基づいて良く行えば、常人は自ら納得し、このことから法を得られるかもしれません。

 ここまで考えると、私は恥ずかしくてたまらなくなりました。こんな小さなことさえよく行えておらず、関を乗り越えられないので、師父の諭しに顔向けができません。そこで私はすぐに直そう、よく行おうと一元を持ってあの店に行きました。私はまずお詫びを言って、事情の経緯を話し、一元を返しました。女性店主は私が一元のためにここまですることを不思議がり、感動しました。私は心を込めて「私は法輪大法を修煉しています。私達の師父は私達に、真善忍の基準に基づいて自分を律するように要求されています。私は、あなたに多くもらった一元を受け取るわけにはいきません。私は以前あなたのご主人とも言い争いましたが、これは私の過ちです。私は修煉者なのに高い基準で自分を律することができませんでした。あなたのご主人は忙しくて間違えたかも知れないのに、私は彼と言い争ってすみませんでした」と謝りました。女性店主は感動していました。この機会を利用して私は真相を伝え、三退(脱党)を勧めました。彼女は喜んで「法輪功は良いものだ。法輪功は良いものだ」と言い、中共少先隊から脱退しました。

 「修煉者の現れは純正なもので、多くの人は皆さんの現れを見て、皆さんのことを本当に良いと思ったのです。もし、普段自分の行動に気を付けていなければ、皆さんの行いは常人の目に止まってしまいます。」師父が『2002年度ボストン法会での説法』で説かれたこの法理がまさに思い浮かびました。

 2009年3月27日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/23/197648.html