武漢:法輪功修煉者・魏興芝さんが迫害された経緯
(明慧日本)湖北省武漢市武昌の水果湖地域に住む法輪功修煉者・魏興芝さんは(54歳女性)は独身。湖北省、省の直属機関第二保育院の先生として、「真・善・忍」を信じて法輪功を学び、何度も不法に労働教養と洗脳で迫害された。職場を解雇され、給料を差し引かれてもう7年すぎた。
2003年6月のはじめ、魏さんは仕事中、不法に武漢市第一留置場に強制連行され、家財も差し押さえられた。その後、不法に労働教養処分を受け、武漢何灣労働教養所に連行された。そのときはちょうど灼熱の7月で、警官は魏さんに1週間風呂に入らせず、20日間寝かせなかった。部屋の中に椅子もなく、数人の麻薬犯が順番で魏さんをずっと立たせた。時間が長くなって床に坐ったらかれらは魏さんを引き立て、水を床に流した。警官は当番に当たる犯人に「もし立たなかったら、縄で窓のそばにある手すりに縛ろう」と言った。
2003年9月、魏さんは沙洋労働教養所に移送され、昼には奴隷のような仕事ばかりさせられて、夜も寝かせなかった。数人の受刑者は警官の指示に従い、魏さんに信仰を放棄させ、しゃがんだり、立たせたりすることもよくしていた。たまに2〜3時間か、3〜5時間しか寝かせず、時々1時間ぐらい寝て再び仕事をしなければならなかった。また、寝たら殴られることもあった。彼らの要求に従わなければ、殴られたり、蹴られたりした。両足は蹴られて青色や紫色になり、目と耳も腫れ、足の指のつめがひどく踏まれて黒くなって、後につめも剥がれた。ある麻薬犯は小さい椅子を持って魏さんの背中を打ち、タバコで手にやけどをさせた。魏さんは迫害されてひどく痩せた。警官も「ずいぶん老けたね」と言った。
2004年9月③日、魏さんは洋労働教養所で迫害されて1年後、湖北省、省の直属機関第二保育院の元書記王典平と水果湖の派出所のある女性の警官は魏さんを労働教養所から出迎え、また湯遜湖の洗脳班に連行されて迫害された。1カ月後、王典平と湖北省機關事務管理局の処長劉成保は魏さんと一緒に直ぐ実家へ戻ったが、元の仕事に戻れなかった。王典平は帰ったら楽にするように車の中で言ったのに、実家についたら、態度が変わって「これから武漢に戻るな」と脅した。その後、魏さんは武漢での家に戻ったが、王典平と単位の管理員は家に来て「君は解雇された。これから私たちと関係はない」と言った。魏さんは単位に行って院長の李鳳蓮にどうして私を解雇するのかを聞くと「管理に従わないから」と返事をされた。彼らは職権を濫用し、人権と仕事の権利を侵害していた。仕事をさせず、自分の家に帰らせず、彼らこそ罪を犯していたのに、他人は管理に従わなかったと話して、共産党の邪悪な本質をすっかり暴露した。
魏さんは李鳳蓮にその解雇の文書を求め、関係する部門に不公正な待遇を反対するつもりだったが、李は理由のない解雇は法律違反だと分かっており、その文書をどこに置いたか分からないと返事した。また、信仰は君自身のことだが、単位では信仰してはだめだと言い、守衛に魏さんを単位に来させないと命令した。「憲法」の中に、人民は信仰の自由があり、どんな組織も憲法と法律を超える特権はないと書いてあるが、言うこととやることは全く違って、人民を騙した。法輪功を鎮圧している理由は全て嘘だった。
魏さんは法輪功を学んでから、国のお金を一切使わず、前の病気が全部治って、心身とも健康になった。こつこつと働き、真・善・忍の基準で自分を要求していた。真面目に仕事をして、子供に対して良い世話をした。法輪功の信仰を放棄しないため、仕事から解雇され、収入をなくし、2001年から今まで7年間給料をもらわなかった。魏さんは省の事務局の元局長李自華、省の二保の王典平、李鳳蓮に手紙を出したが、無視され返事はなかった。李鳳蓮は同僚に通って単位は魏さんに低い保障の保険に加入してもよいと言った。信仰のため解雇することは法律での規則はなかった。関する部門の担当者に魏さんに仕事に復帰させ正しい理由のない解雇や7年間の給料を返すことを要求しなくてはならない。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2008年3月29日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/10/196891.html)
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