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内に向かって探すことは、修煉を精進するために最も重要なこと

(明慧日本)2004年のある時期、私は同修に裏切り者、スパイだと疑われていました。同修は私との接触を拒み、『明慧週刊』も渡してもらえませんでした。このため、私は非常に憤って、孤独に陥り、毎日意気消沈して三つのことも良く行えていませんでした。同修と学法をする時に、私は数回この事に言及しましたが、ある古い同修に直接「内に向かって探して下さい」と棒喝されました。

 師父はいつも私たちが何かに遭遇したら、内に向かって探すようにと教えて下さいました。その後、私は改めてこの方面の師父の説法を勉強し、自らの欠点を発見することができました。自分は口が上手いと思っていて、法理で事を判断するのではなく、同修と交流する時に善意もなく、一度に20個以上の意見を出しました。そのため、同修たちと大きな壁ができていたのです。また、たまに法会に遅刻や早退をすることがありました。私は現地の人間ではなかったので、ある同修が連行された時、通報をしたと疑われました。私はとても怒りました。このような問題を発見してから、大法の基準で自らの言行を律し、善意を持って同修と交流するようになりました。自分の欠点を認めて、同修からの疑いやできてしまった壁を取り除き、一緒に協力して三つのことを行いました。こうしてようやく一丸となることができました。

 去年の新年直前、自分は家の主人なので、よく子供に腹を立て、娘と喧嘩し、細かいことで妻に腹を立てていました。そして、煉功や学法を一緒にしませんでした。問題があったら、内に向かって探すどころか、妻に精進していないと咎めました。このように常人のような状態に陥り、利益を少しでも損なえば不機嫌になり、何か言われたらすぐ怒りました。法理で自分を律することができなかったのです。そのため、長期間魔難に遭い、学法まで影響を受けました。歯が痛くなったり、腕が痛くなったり、手足がうまく動かなかったり等のことが現われました。

 師父が何回も説法の中で、問題があったら内に向かって探して下さいと強調されているにもかかわらず、どうしてそうしないのでしょうか?これは修煉を実践していると言えるのでしょうか?師父のご教示に従うことができなければ、師父の弟子であるとは言えません。落ち着いて内に向かって探してみたら、私は自己中心的であり、顕示心が強く、また口を修めていないこと等が見つかりました。

 問題を見つけてから、このような良くない思想と考えを取り除きました。師父は『二〇〇八年ニューヨーク法会での説法』で次のように仰っています。「ですから、あなたがぶつかった魔難はちょうど、あなたが向上する機会であり、内に向けて探すことができれば、それはまさにあなたが難関を乗り越え、新しい状態に入る機会になります」この説法を読み終わった後、頭がはっきりしてきて、問題はたやすく解決しました。子供たちと仲良くなり、無駄口を利かず、妻と一緒に協力して三つのことを行うようになりました。

 新年前、私はお土産を持って妻の実家を訪ねた折に、妻と2人で真相を伝え、7人が本名で脱党しました。そして、彼らに真相の冊子を渡しました。新年以降、また彼らは私の実家を訪ねました。真相を伝えた数十日の間に、友達、親族など55人が脱党しました。

 修煉の過程の中で、矛盾や問題が出てきた時は、周囲のせいにしないで下さい。内に向かって探し、よく学法して大法に同化しましょう。これこそ、問題を解決できる方法であり、修煉の実践であると言えるのではないでしょうか。

 2009月4月2日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/30/198059.html