日本明慧
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集団学法および法を実証する中で向上する(一)

——南オーストラリアの中国語学法のグループの修煉体験

(明慧日本)尊敬なる師父、こんにちは! 同修の皆さん、こんにちは!

 私たちの地域の法輪功修煉者は少なく、今は中国語学法グループに参加する同修は10人前後です。私の家は中国語学法グループの集まる場所になっています。学法は毎週土曜夜に行われていて、私は自然にこのグループの責任者になりました。以下の三つの方面から私たちの修煉中の体験を述べたいと思います。

一、集団学法に対しての見方

  学法と交流を通じて、同修たちは学法の重要性を深く悟りました。師父は私たちに「皆で一緒に法を勉強することは私が皆さんのために切り開いた環境であり、皆さんのために残した形式です。やはりこのようにすべきだと思います。なぜなら ば、これは実践してきたことであり、このような修煉が学習者を最も早く向上させることができるからです。自分一人で修煉していれば、あなたの向上を促進する要素はありません。大法弟子として、師父の言うように行うと皆さんは言ったのではありませんか? 大法弟子として歩むべき道を正しく歩まなければならないのだと言ったのではありませんか?」(『各地での講法六 アジア太平洋地区学習者会議での説法』)と指導してくださいました。一緒に学法することは師父が私たちに切り開いて残して下さった環境と形式です。私たちは師父の指導に従い、最大限に集団学法の環境をうまく利用し、本当にこの環境で学ぶことに励み、切磋琢磨し合いながら修煉し、共に精進し、共に向上する環境にしたいです。

 私たちは通常ローテンション方式で法を学んでおり、それぞれ一段落ずつ読んでいます。読み間違い、読み飛ばし、ない文字を付け加えたりするのを発見すると直す、のようにすることで落ち着いて法を読み、集中力を高めることになります。

 同修たちの法を読む速度は速くなく、落ちついて、穏やかにゆっくりと通読することで、一つ一つの文字に気を配ることになり、それぞれの句が頭の中にはっきりと表れ、そして法の内容を余す所なく理解できます。師父は次のように説いておられます。「法を学ぶ目的は皆さんを分からせることであり、何かが分かることが第一義のものです。法を読んでいるとき、自分が読んでいるこの行の意味が分からなければならず、少なくとも、表面の意味が分からなければなりません。読んですぐ忘れたということですが、気にしないでください。それは大丈夫です。ひたすら読んでください。自分が何を読んでいるかも分からず、ただこのように読んで、読んで、口は朗読しており、目は追っていますが、心がここにあらずではいけません。それなら、修煉の目的に達することができません」。

 学法するとき、まず姿勢を正し、半跏趺坐または結跏趺坐で背中をまっすぐにします。天目が開いている同修は「私たちが学法するとき、別空間の異なる次元の佛、道、神と数え切れないほどの衆生が私たちと一緒に学法しているのです。彼らはひざまずいて法を聞き、天女が花を散らしています。落ち着いて通読している同修の口からは、黄金の法輪と佛、道、神が出てきます。落ちついていない、または集中してない同修はそのような光景は見られないというのです。

 他に、学法するときはできるだけ静かに行い、時間を守ります。通常は電話の電源を切ります。法を勉強するときは動き回らず、騒がしい声を出さないようにするなど、こうすれば学法の環境は純粋な場を保てると同時に、同修の集中力を高め、師父と法を尊敬する形の現れでもあるのです。

 通常、私たちは『転法輪』の一講を読んだ後、一緒に「洪吟」と「洪吟二」の詩を暗記し、復習します。そして日付順に師父の各地での説法、特に1999年7.20以降の説法を中心に学びます。私たちは法を暗記することにしているので毎週5、6個の「洪吟」を暗記します。今はすでに「洪吟二」の後半を暗記しています。それぞれの同修は家で暗記して、集団学法のときは暗唱します。

 法を学び暗記し、切磋琢磨し合って学び修煉する中で、同修たちは突破できなかったたくさんの関門を突破することができました。ある同修は、法を聞くのが好きで本を読むのは嫌がっていましたが、中国語と英語による学法、法の暗記を通じてこの壁を突破できたのです。今はできるだけ集団学法に参加するようにして、中国語と英語による学法の環境をむだにせず、参加するようにしています。

(続く)

2009年4月3日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/3/18/197351.html