日本明慧
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修煉に小さいことは存在しない


(明慧日本)修煉には小さなことは存在しませんが、とても小さいことを通じて、1人の修煉者としての心性を測ることができます。常人の中には「悪いことが小さなことだといって、それをやってはならず、良いことが小さなことであっても、それをやらなくてはならない」という言葉があります。私はこの2日間に起きたことについて、同修の皆さんと交流したいと思います。

 一昨日、私は出社して巡回検査をしていたところ、突然階段の上に、蒸パンの大きさのクロキクラゲ(黒木耳)が置かれているのを見かけました。おそらく誰かが濡れ木から取ったはずでした。私はクロキクラゲがとても好きです。以前、新聞と雑誌でクロキクラゲが身体に大きな効果がある(人間の観念)と書かれていたのを読んだことがあります。その後、私はそのクロキクラゲのそばを何回も通りましたが、誰もそれを持って行きませんでした。それで私は、それを採った人がほしくないから、ついでにそこに置いたのだろう、と思いました。そして、私はお昼の仕事が終わったときに、何の不安もなく、それを持ち帰りました。ベランダでそれを干していましたが、当時はとても自然なことだと思いました(事後よく考えてみると、それを採った人がそれを干してから持ち帰ろうとしていたかもしれないことに気付きました)。

 慈悲なる師父は私があまりにも頑迷であるのをみて、またもう一つのことを按排して、私を悟らせてくださいました。

 昨日午前10時ごろ、私ととても仲の良い友人から電話がかかってきて、彼女はすぐ南方に行くことになったが、家に多くの白菜と他の食品があるから、私に持ち帰って食べるようにと言ってくれました。普段私の仕事はそれほど忙しくありませんが、当時は仕事が非常に忙しくて、彼女の家に行けませんでした。友人は物を自宅の入り口の外に置いておくから、仕事が終わったら持って帰ってと言いました。彼女と私は同じビルに住んでいますが、ただ入り口が違うだけです。お昼に私は自宅に帰ったとき、息子(小弟子)にものを取りに行くようにと伝えました。当時、息子が食品をいっぱい持って帰ってくるのをとても楽しみに待っていました。しかし、息子は手ぶらで帰ってきました。息子はものがすべて他の人に取られていたと言いながら、「今の人は本当に悪い、他人のものまで持ち帰るなんて」と言いました。私も少し心のバランスが取れなくなりました。

 夜の仕事が終わった時、私は突然悟りました。この二つのことはどうして一日明けて同じ時期に発生したのか? 実際は私が利益を求める心をまだ十分取り除いていないことを悟らせていました。ひいてはその心はとても大きかったのです。人間の面でみると、常に生活条件が良い親族の助けを得ようしていましたが、実際彼らは常に私たちを手伝っていて、すでに自然なことになっていました。ひいては彼らが手伝うべきときに手伝ってくれないと、心のバランスが取れなくなりました。どれほど汚く、利己的な心でしょうか。また利益に対する追求をとても自然なこととして扱っていました。いま現在、私はちょっとした利益をむさぼる心、利益をとても重く見る心、少しの利益を手に入れるとうぬぼれる心、得られなくなると心のバランスが取れなくなる、などなどの心を解体させます。

 干した後で小さくなったクロキクラゲを見ながら、私と息子は修煉の厳しさを悟りました。私は今後必ず大法の法理をもって、厳しく自分に要求し、自分のすべての汚い要素、執着心を取り除き、自分の言動を正し、常に大法弟子のすばらしさ、高尚、純正、偉大さを現します。

 後記

私は作業時間中、時間がある時にこの草稿を書きました。最初は作業中に使う紙を1枚使おうと思いましたが、それも自分を完全に正したことにならないと悟り、草稿は私が常に持っている顔を拭く紙に書きました。

2009年4月4日


(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/3/198260.html