日本明慧
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今生の目的は師に遵って法を正し、衆生を救い済度し、円満成就すること(一)

(明慧日本)

 尊敬する師父にご挨拶を申し上げます。
 同修の皆さんにご挨拶を申し上げます。 

 1999年2月21日、私はロサンゼルス法会で、慈悲で偉大なる師父に会いました。それから法輪大法の修煉の道を歩み始め、法輪大法の弟子となりました。今日までちょうど十年が経ちました。この短くもないが、かつ平凡でない修煉の道を思い返せば、本当に感無量です。無神論の洗脳を受け続け、修煉という文化に対して全く無知の「常人」だった私が、師父のご加護の下、ご指導の下で、大法の中で一歩一歩あゆみ、今のような確固とした大法弟子になりました。今日に至って、一人の大法弟子として、今生の目的は「師父に遵って法を正すこと、衆生を救い済度すること、そして圓満成就すること」であると、私ははっきりと分かりました。

  この認識は受動的な状態から積極的な状態へと変化し、しかもますます理解できるようになっていきました。その中でも重要なのは、師父からの啓示です。

  法輪功の修煉を始めた当初のことを思い返せば、「良い人になるのも悪くない」という動機による影響が非常に強かったのでした。人心が良くなったら、そんなに多くの法律も必要なく、社会もよくなると、法会の中で師父が説かれた内容を聞いて、私は感動しました。また、「殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さない」、どのようにして良い人になるのかなどの多くの同修による感動的な体験談を聞くことで、師父と大法が自分たちを救ってくれた、という師父のご恩への感謝が、私に感銘を与えました。

  修煉するようになってから、良い人になるのもたやすいことではないことに気づきました。なぜならば、それはただ常人の基準に従うのではなく、宇宙の最高の特性である「真・善・忍」に従って行わねばならないからです。師父は『転法輪』の中で、「皆さんに一つの真理をお教えしましょう。絶えず執着心を取り除くことこそ人間の修煉の過程のすべてです」と言われました。

  家庭や、同修との間に生まれたさまざまな矛盾を前にして、絶えず執着心を取除く過程の中で、ほとんどの場合、私は無理して我慢しているだけでした。たとえその場を我慢できたとしても、後に反撃のチャンスにめぐり合って、その我慢を発散できたとき、初めて気持ちがすっきりしたと感じることがあります。実は真に真と善を実行できていないから、このように感じていたのでした。私の我慢は無理をしての我慢であるため、修煉の過程も大変疲れました。はっきり言うと真に修煉することの意味を理解できていませんでした。このような私にとって、返本帰真もただ六道輪廻の中での苦しみから抜け出すためにすぎませんでした。

  師父が私たちに法を正すことの大いなる目的を示して下さり、私たちに対して、大法弟子が師父に従って法を正す責任があると教えてくださったとき、師父が私たちに今日の人間、特に中国人の由来が非常に貴重であるため、大法弟子が中国人を救う義務があるとおっしゃったとき、師父が大法弟子に対して、法を学ぶこと、正念を発すること、そして真相を伝えること、との三つのことをしっかり行うように教示なさったとき、「法は衆生を度し師は導航す、一つの帆升起せば億の帆揚がる」『心自ら明かす』より)との説法のように、師父が導き、億万の大法弟子が大法弟子として、着実に向上し、師父の教えに従って歩んできたと感じました。

  また、師父のお話を聞くことは間違っていないと思い、師父の要求されたことに円容することは宇宙の中で最大の善であると思っていましたが、実際はその中のさらに深い内包についてはっきり分かっていなかったのです。従って、人間の一面が時に強く現れ、そうなると精進しなくなるのです。例えば、怠けたり、あることに執着したり、何かを楽しんだり、一方的に同修を評価したり、私心を隠したりなどなどが現れてくるのです。このような状態で行ったすべては、まるで任務を完成するために行ったことになり、たとえ待たず、頼らず自分のできることを行っても、やはり後ろから背中を押されて歩むような感じがしました。しかし、師父は私たちの行ったすべては、とても偉大で神聖なことであると告げられました。

 (続く)

 (2009年ロサンゼルス法会での発表原稿)

  2009年4月5日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/3/196417.html
(英語:http://www.clearwisdom.net/emh/articles/2009/3/17/105663.htm