郭生歓博士は上海籃橋監獄の所長に長期に迫害される
(明慧日本)元上海師範大学学院数理学部の講師である法輪功修煉者・郭生歓博士は、2007年から不法に提籃橋監獄七監獄区に拘禁されて今日に至っている。期間中、警官は囚人に指図して郭生歓博士を虐待し、迫害させたため、郭生歓博士の体調は極めて悪い。
警官は思想改造をするという名目で、長期にわたり、想像を絶する長時間、彼に奴隷のような重労働を強いた。警官は「転向しなければ、刑務所の中で殺す」と脅した。
郭生歓博士は幼い時から視力が悪く、長時間の縫製作業をさせられ、適切な度数の眼鏡をかけさせてもらえない為、視力が更に悪くなった。冬の最も寒い時、家族は彼に冬服を持って行ったが、警官と囚人らは冬服を着せなかった。
家族が面会に行った時、彼の顔色がとても悪く、話す力もないのを見て、労働の軽減を求めた。しかし、警官は監獄の中に医者がいるので、医者が病気休暇の許可を出さなければ、休むことはできないと言った。郭生歓博士は未だに強度の労働を強いられている。
郭生歓博士が迫害された経緯
上海師範大学学院数理学部の講師・郭生歓博士は、2007年1月25日午前8時頃、学院副院長の事務室で徐匯区警察と610弁公室に不法に連行された。目撃者の話によると、頭に袋をしっかりと被せられて連行されたという。その後、上海師範大学学院数理学部の副院長・顧国祥は、内情を知っている同僚に「もし他の人に聞かれたら、郭さんは出勤していませんと答えなさい」と要求した。
同日、郭生歓博士の夫人・張宇霞さんも上海虹橋国際学校に出勤する時、不法に連行された。しかし、その後、保釈された。張宇霞さんは華東師範大学を卒業しており、かつて上海市古北中学校に勤めていた。しかし、法輪大法の修煉を放棄しないため、青浦洗脳班に不法に連行された。当時、彼女はまだ哺乳期だった。その後、勤務先を解雇させられた。
郭生歓博士は徐匯留置場に不法に拘禁され(所在地:竜呉路39弄15号)、その後4年の刑罰を下された。張宇霞さんは1人で2人の子供(5歳と3歳)と一緒に生活しており、苦難に満ちた日々を過ごしている。その後間もなく、郭さんの父は心労で亡くなった。家族は何度も手紙で父が亡くなったことを郭さんに知らせたが、監獄に郵便物を全部没収されていたので、彼は大分後になってから父が亡くなったことを知った。
(注:法輪功修煉者を迫害している主要な責任者らの情報は、中国語のページを参照)
2009年4月7日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/31/198140.html)
明慧ネット:jp.minghui.org
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