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同修の言行は私の鏡

 (明慧日本)私はもう十数年修煉してきました。毎日学法しているのですが、功が伸びない主な原因は、内に向かって探さないため、自分を修められないという事が分かりました。しかし、私は何かあった時に深く内に向かって探すことができないのです。

  私の家は数年来学法グループの場になっており、時にはよく会う幾人かの同修の言行に対して、とても腹が立つことがありました。ある同修はいつも私の前で、今日この同修が不正な男女関係にあり、明日はあの同修が色欲の心があるとかを疑い、そのため、彼はこれらの同修に会いたくなく、一緒に学法したくありませんでした。私はこれらの事を見て、いつも彼と同修の間に壁ができることを心配していました。彼と何回も交流しましたが良い結果がないだけではなく、誤解が生じ、とても悩んでいました。

  今年の夏、学法していた時、私は疑う心がとても強く、しかも非常に強く表れていることを悟りました。私はいつも「夫は外で不正な男女関係にあるのではないか、息子は学校でお金を無駄使いしているのではないか」などを疑い、そのため、これらの疑ったことは全部実際の事になりました。過去十数年来、夫は2回も浮気をしたことがあり、息子は大学受験の成績もあまりよくなかったのです。旧勢力はたくさんの虚像を作って私に見せ、私の疑う心が強ければ強いほど、明らかにこれらの物を求めているということになります。

  不正を多く考えることは執着で、ネガティブなものを多く考えるのはこの執着を求めていることではないでしょうか? もちろん私の空間場がこれらの不正な物の存在を許したので、旧勢力は私の隙に付け込んだのでしょう。その結果、ついにこれらの難儀を作って、私を試練したのではないでしょうか? この難儀を乗り越えるのに十数年もかかりました。今日私はやっと本当の原因を見つけました。分かったので発正念をして、疑う心が生じる一切の思想業力、観念、この心を私に押し付ける一切の邪悪生命と要素を、何一つ漏れることなく取り除きました。私が変わったら夫と息子も良くなって、しかも大法のことも手伝ってくれるようになりました。

  考えてみると、十数年来、私の目の前でその同修が表したことは、偉大で慈悲なる師父が私に見せるため修煉させるために按排して下さったことではないでしょうか? 同修と何回も切磋しても効果が良くないのは当然だったのです。その時、私は同修との交流の仕方、心の状態が法理に則っていなかったのです。同修の言行を鏡として自分を照らしていなかったのでした。

  同修の言行を鏡とし、各方面から自分を照らし探して見ることで、たくさんの執着心を見つけました。例えば、嫉妬心、虚栄心、恐れる心などなど、これらは花崗岩の山のように、私の空間場に立って障壁になり、私が三つのことをするのをひどく妨害しました。しかし今、私は確信しています。師父の大法があり、同修の明るい鏡が私を照らしてくれているので、一つ一つの障碍となる大きな山をすべて粉砕することで、その名にふさわしい正法時期の大法弟子となることができます。

  2009年4月9日

(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/2/198259.html