日本明慧
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集団学法を通じて向上した


文/江蘇省の大法弟子

 (明慧日本)最近経験した事を通じて、いかに同修と一緒に学法および交流をすることが重要であるかを理解しました。

 夫はずっと私が大法を修煉することに反対し、何回も私に手を出しました(私が修煉する前は一度もなかった)。私は殴られても殴り返さず、罵られてもやり返しませんが、やはりちょっと不平に思い、怨みを持ち、ひいて離婚すると考えていました。これは自分に対する試練であり、向上する機会なので内に向かって探すべきだとは思いませんでした。しかし、数カ月前から自分1人だけこもってする修煉から集団学法に参加してからというもの、しらずしらずに心性も向上してきました。

 ある日、夫は同僚と酒を飲んでから帰宅し(私を殴る時は大概酒を飲んだ後のこと)、「お前は家族が要るのか、煉功が要るのか? どっちだ」と真剣に聞いてきました。「私はどこが悪かったでしょうか? 仕事を真面目にし、家事も上手くやっているし、子供の教育もしっかりして、親孝行なども全て私が煉功したからこそよくできたのです」と、私は反駁しました。夫は、「お前が煉功したからこそ俺は毎日びくびくして、いつお前が捕まえられるかわからないから、本当にもう限界だ。離婚しよう」と言いました。

  話を聞いて、私は動じませんでした。夫の様子を見て、苦痛な表情をした夫はかわいそうだと思っただけで、怒りや不平はちっともなかったのです。ある同修の話で、「大法弟子の家族はみな大きなプレッシャーを受けているので、大変ですよ」と言っていたのを思い出しました。そして、師父の「 将来あなたが得道した時、多くの者がその恩恵を受けることになるかも知れません。ですから多くの人がその一部を代わりに負担してくれるのです」(『転法輪』) 「失わないものは得られず、・・・代償を払えばその分だけ得る、こういう道理です」(『転法輪』)という法理も説いておられます。

  大法弟子の家族はたくさんの代償を払ったので、その分得られるのです。もしどうしても耐えられないのであれば、離婚はよい方法かもしれません。そこで「もし離婚するのがいいと思ったら承諾してあげます」と私は言いました。それから住宅、子供とかいろいろの問題を話しました。夫は寝る前にもぶつぶつ言ったので、私は「もう一回考えることは必要ではないですか」と言うと、夫は「いらない、明日届けを出すよ」と言って寝ました。

 すぐに寝られない私は、いろいろ考えました。翌日になって、早めに煉功し、ご飯を作って、子供の通学の段取りをしながら夫の起床を待ちました。意外にも、起きた夫は昨日は何ごともなかったかのように、平気で普段通りに毎日のことをしています。これでやっと、師父が私をテストされていたことを悟りました。私はいい成績が取れて、要求に達したからその事も存在しなくなりました。道理でそれから夫は私の煉功に対する態度も大分変わったわけです。

 私は法を正すことにやり出すのが遅かったため、最近、同修から『転法輪』の字を訂正する表をもらいました(このことは大分前のことであり、ほかの同修はすでにやり終えました)。以前、字を訂正することは大したことではないと思いましたが、やっているうちに訂正するのと訂正しないことの間に大きな差が存在することが分かりました。 

 表をもらって、見てからびっくりしました。こんなに多いので、いつ完成するのでしょうか、時間ももったいないと思いました。しかし次第に、たくさんの誤字、脱字などを訂正してから私の認識も向上しました。なぜ師父がこのことを要求されるのでしょうか、やはり我々の修煉の道を修正しなければならないからです。しかし、私が字を訂正することを重んじないのは大間違いで、師と法を信じるか信じないかの根本の問題です。私は百パーセント信じていますか、と自分に質問しました。同じ大法の本を読んで、なぜ弟子の皆さんはそれぞれ違うのでしょうか。師父は「代償を払えばその分だけ得る」とおっしゃったので、もし百パーセント師と法を信じることができれば、大法も百パーセントの内包を見せてくれます。しかし、できないと心性の基準によってそれなりの法理しか与えられません。字を訂正する中で、私は次第にはっきりと法理を理解するようになり、大法の字一つ一つも明晰になりました(以前はいい加減に読んでいました)。さらにいろいろな事に対する認識も変わって、しらずしらずのうちに心性も向上しました。

 「この宇宙大法は、異なる時期の異なる次元の衆生のために異なる時期・次元に問題が現れた時の比較対照を残し、生命のために異なる歴史時期に現れる各種の情況への対処法を残します」(『導航・2001年カナダ法輪大法交流会における説法』)私は本当に師父の要求に従っていなければ、将来の修煉者にどれだけの影響を与えるのでしょうか。法を正す時期の大法弟子は最も正しい修煉の道を残す責任があります。法を師にして、しっかりと師父の要求に従うべきです。

 最近の数カ月の集団学法、交流に参加し、衆生を救い済度する中で、私の心性も向上しました。しかも、数年来よりも進歩していると感じました。もし、われわれ大法弟子のすべてが師父の要求に従って、出てきて集団学法に参加し、交流そして全体的に向上する環境を作り、協力しながら衆生を救い済度することをしっかり行えば、我々の環境も大きく変わるはずです。

 次元が限られており、不足があればご指摘ください。

  2009年4月10日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/3/31/198126.html