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同修が正々堂々と明慧ネットにアクセスできることを願う


文/西安の大法弟子

(明慧日本)私は2005年の初めに、同修の助けと励ましの下で、やっと明慧ネットにアクセスできるようになりました。実際、前から我が家ではADSLも使っていましたが、私はパソコンの基本操作さえ分からないので、基礎の基礎から学ばなければならず、邪悪に対する恐怖心もあり、なかなか封鎖された明慧ネットを突破してまでアクセスしようと思いませんでした。

 ある日、1人の同修が家に来て交流し、切磋してくれました。明慧ネットについて話しながら、持っているフラッシュメモリを使って封鎖を突破できる自由門というソフトを探し出し、簡単に操作をして明慧ネットにアクセスすることができました。また、同修は私の家のパソコンに必要なセキュリティを設定してくれました。その後、私は家で明慧ネットを見ることができるようになりました。

 「ある人が首に大きなピザをかけていたが、お腹が空くと口の周りのピザしか食べず、手を使って口まで運ぶことを知らず、口に届かないところのピザを食べられずに、餓死してしまった」という話を聞いたことがあります。考えてみると、自分もその人と同じではありませんか。家にパソコンがあるし、インターネットもつないでいるし、時間もあるのに、どうしてパソコンを使おうとしないのですか。私は依頼心、恐怖心などの利己的な心で、長い間他の同修から資料や師父の経文をもらっていました。同修が来られないときは待つばかりで、新しい経文と資料を読むことができなくなったこともありました。こんな修煉状態でどうやって師父が言われる法を正すために進むという段階についていけるのでしょうか。

  私は次のように悟りました。「大法を実証するためならば、たとえそのことができなくても、分からなくても、迷いなく専念して学ぶべきです。他人に頼ってばかりで、真相を伝え、衆生を救い済度することを懈怠し、これは衆生にも自分自身にも無責任なことです。常人さえ自己満足のためにいろいろ学ぶことをしているのに、我々は衆生を救い済度するという宇宙で一番神聖なことを行っているのだから、もっと精一杯張り切って勉強しなければならない」それから、しばらくすると、私はホームページにアクセスしてダウンロードをすることができ、資料の編集からパソコンのシステムを設置することまで、ほとんど自分でできるようになりました。その上、パソコンの操作も自由にできるようになりました。師父がおられ、大法があるので、私は心の雑念を徹底的に取り除き、集中して勉強するという自然に流れができるようになりました。その過程で「コンピュータがどんなに発達しても、人間の頭脳とは比べるべくもありません」(『転法輪』論語)と私は身をもって感じました。

  近くに私より若い同修がいました。その同修は私の前の状況と同じでした。明慧ネットにアクセスしたいのですが、やはりさまざまな困難と人心を恐れて明慧ネットを見ることができません。私は「初めて明慧ネットにアクセスできた時、私は二つのことに深く感動しました。一つは驚喜で、もう一つは残念という気持ちでした。驚喜というのは、初めて慈悲なる偉大な師父をネットで見ることができたからで、こんなに多くの同修の交流文章を読むことができて、心の中で本当に感激しました。それと同時に、残念であるというのは、明慧ネットは何年も前にできたのに、この数年間、世界各地の同修はこれによって交流して、修煉の過程で精進しているのに対し、私はこんなに遅れをとって、やっと読むことができました。これは本当に残念ではありませんか。これらの、私が最初に明慧ネットにアクセスできた感想をその同修に話し、交流しました。

 その同修は私が言ったことに同意してくれました。私はまた、次のように同修に話しました。「多くの同修が厳しい環境下で、法を実証するため、封鎖されたサイトを突破し、可能な条件をつくり、明慧ネットを見れるようにしたいのです。しかし、私たちはなぜそういうことができないのでしょうか。明慧ネットには師父の説法と経文があり、同修の修煉体験の交流文もあり、それにいろいろな真相資料なども豊富にあります。明慧ネットは、私たちに修煉の道のりで精進し、穏健に歩いていくためのものだと思います。師父は、重大な問題ならば、明慧ネットの態度を見定めなければいけないとおっしゃったこともあります。だから、明慧ネットにアクセスして読むことは、「読まないなら損をし、読み遅れると後悔し、早く読んだら受益する」とある同修が言った通りだと思います。言い換えれば、私たち大法弟子はこの機会を失ってはいけないということです。現在、パソコンでも、携帯電話でも簡単にアクセスできます。さらに言えば、明慧ネットができて以来、邪党は、力の限りを尽くして封鎖し、私たちが明慧ネットにアクセスすることを阻害しています。もし私たちが恐怖心をもち、大法のネットを読まなくなったら、これは旧勢力の按排に従うことになるのではありませんか。だから、邪党の封鎖を突破して、正々堂々として明慧ネットにアクセスすることは、法を実証するためであり、私たちの修煉の道を正しく進むことでしょう」

  このような交流をして、現在、私の周りの同修は皆、明慧ネットを見ることができるようになりました。全体の協力がよくでき、「三つのこと」もますます精進しています。明慧ネットは私たちのために新しい世界を開いてくれました。同修たちの努力の下、現在の多くの常人もネットの封鎖を突破し、さまざまなサイトにアクセスできるようになり、大法の真相が分かってきています。私たちの周りの環境は変わりつつあり、ますます調和している状態です。

  数年来、明慧ネットを見てきた私は多く受益しました。多くの同修の「正しい念、正しい行い」の修煉体験はもちろん、新しい同修の文章を読むことで、私の感銘も大きいのです。私は10年あまり修煉してきましたが、新しい同修の修煉体得の交流文章を読むとき、いつも自分に「私は大法を得た当初、彼らと同じぐらい精進しましたか」と尋ね、「いいえ、多分そうではありませんでした」と自分が答えます。師父の偉大さと慈悲を思うと、私はいつも涙を流します。新しい同修や古い同修の体験交流は、私に「修煉の道で弛めてはいけない、怠ってはいけない、精進するように」と促してくれます。それらのことを実行できれば、師父が私たちを救い済度してくださったことに申し訳が立つでしょう。

 明慧ネットを読むことができれば、嘘の経文と法を乱すものが識別できるようになります。例えば、私は偶然に一部の資料を手に入れました。その資料を読むと嘘の経文だと感じ、明慧ネットを見ると、そのような内容が載っていないため、一目瞭然で嘘の経文だと分かり、すぐに燃やしました。このことから、嘘の経文が広がるのは、当然さまざまな原因もありますが、同修のみんなが明慧ネットを見られないことや、法の勉強を深くしていないことなどと関係していると私は思います。

 最後に、同修のみんなに「明慧ネットにアクセスすることは難しくないのです。難しいのは、自分を突破することです」と言いたいのです。もっと多くの同修は、長年積み重ねてきた観念、いわゆる修煉の道で妨害になるものを放棄し、正々堂々と全世界の大法弟子の交流の場である明慧ネットにアクセスできることを願っています。

  2009年4月11日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/2/198254.html