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真相を伝えることは迫害を制止する有力な方法(二)

(明慧日本)

 理性をもって真相を伝える

 真相を伝える時に、高い次元のことを言い過ぎないことことが基本です。つまり、他の人が受け入れられるように言うことで、人を刺激したり、常軌を逸することを避けるべきです。人は皆、善と悪の2つの要素を同時に持つもので、私たちは真相を伝えるときにその善の要素を啓発する反面、悪の要素を抑制することで、初めて衆生を救い済度し、迫害を抑制することができるので、高い次元のことを言い過ぎるないよう、くれぐれも気をつけなければならないものです。

 1999年11月の初めのことだと思いますが、ある日の晩ご飯の後に、ドアを閉じたはずなのに、いつの間にか6人の警官が殺人鬼のようにどっと入って来ました。私は椅子を運んで彼らに腰を下ろさせると、彼らは無表情で私に、「まだ修煉しているか」と詰問しました。

 私は真正面から彼らの詰問を答えることなく、私は、「私の今の様子をご覧ください」と言いました。そして、私は自分の修煉体験を次のように語り始めました。私は修煉する前は身体障害者で、ちょうど病気になったとき子供はようやく5才で、まだまだ小さくて、負担は全部妻1人の身の上にかかってしまいました。生きるために、妻は山に登って働き、5才の娘が私の大小便を世話するほかありませんでした。小さい子供だから外へ遊びに行ったりして、しばらくするとまた戻って来て、私に「パパ、おしっこする?」と聞いてくれ、本当にとても情けなかったのです。子供は10才になって、日曜日になると妹を連れてあちこちくず拾いに出かけます。あるときのことを覚えています。長女は初めて私に20元の小遣いをくれたとき、私は子供を抱いてわんわんと泣きました。ある日、妻は病気になって、ご飯を作ることができなくて、しかたなく子供は自分で火を焚いてご飯を作るほかありませんでした。妻の負担を軽減するために、私は両杖をついて畑に座って妻の草ぬきを手伝いに行きました。

 私の陳述を聞いているうちに、警官らは自分で椅子を運んで腰を下ろしていました。私は彼らに、法輪功の修煉を通して、わたしは両杖を捨てて、身体が回復しました。私は言い終えると、警官らはみな同情を表し、大法の不思議さに感心しました。行く前に所長は、「良いと思うなら家で修煉しましょう。私たちも一日中あなたの家であなたを見ていることができないから」と言いました。

 このように元々私を捕まえに来たのに、かえって私が真相を伝える相手となりました。私は師父のご加護と自らの理智の下で、善意を持って彼らに真相を伝え、彼らを救った上、迫害をも抑制することができました。

 迫害に直面して真相を伝える

 2001年、中国共産党は気が狂ったかのように大掛かりに洗脳班を設置しました。秋になって、もうすぐ収穫期になっても、依然として不法に逮捕し続けました。

 ある日の朝、私たちがちょうど発正念をしていると、突然車の音が聞こえてきました。私は妻に「誰かが来た。正念で空間場をきれいにし、言いなりにならないようにしよう」と言いました。私たちが発正念をし終わって、ドアを開くと、彼らは「○○書記があなたを連れて来るように言っている」と言いました。私は、「遠回しな話をする必要はありません。何をしているのかお互いに知り尽くしているから、とにかく私は行きません」と言いました。彼らは早い時間帯に来たため、皆はまだ山に行っておらず、道沿いに多くの人が取り囲んで来ました。私は彼らを大通りまでに引っ張って行き、そして彼らに、「同郷の皆さん、私が両杖をついて何もできなかったとき、私を見に来る人は誰もいませんでした。今わたしは法輪功を学んだことで身体が良くなって、仕事をすることができるようになってからやって来て、こうしてもだめ、ああしてもだめだと言います。私は寝ていればいいというのですか。体が不自由な時は、食べ物や水はあるかなどと心配することは一切なく。今私は良くなったのに、彼らは法輪功を修煉させないようにやって来て、まるで法輪功が彼らを傷つけたことでもあるかのようにしています。皆さん、あなたたちは彼らが今日何をしに来たのかご存知ですか。私を洗脳班まで行かせて、法輪功を修煉するなら公安局まで行かせると言うのです」と話しました。

 このとき、1人の隣人は、「人に病気があったとき、あなたたちは誰か来たことがありますか。今度は良くなったら、あなたたちわざと面倒を起こし、どうしても病死しなければならないのですか。煉功して病気が治ればいいじゃないですか」と不平をこぼしました。

 私は彼らについて行かず、外で話していたため、役人は、「家の中に入って、外で大声で言わないでください」と言いました。私は、「恐れることはない」と言いました。彼らはあきれた末に郷役所に電話をして、また一台の乗用車と数台のバイクがやって来ました。全部で十数人がみな私の話を聞いたり、郷の民衆の詰問を聞いたりして、彼らはしゃがんで聞く人もいれば、頭を下げて内緒話をしている人もいましたが、手を出す人は1人もいませんでした。このように朝の間ずっと対峙して、双方とも曲げないのを見て、私は去りました。私が外で話していた時、役人たちは私の家の中で腰かけていました。私が行ってしまうと、彼らは物音が聞こえなくなったので外へ出て見ると、人がいなくなっていることに気づきました。警官らは部下に「あいつはどこへ行った?」と聞くと、皆そろって「知りません」と答えました。実は、彼らは私が目の前を去るのをきちんと見ていたのです。

 このようにして、私はまた師父のご加護の下でもう一度難関を乗り越えました。私は、迫害を制止し、衆生を救い済度しようとすれば、必ず衆生に真相を知ってもらわなければならないことを深く体得しました。

 以上はこの数年来、私が真相を伝える中で歩んで来た道のりです。そのすべては慈悲なる師父が繰り返し私を苦しみの中から救い上げてくださり、また私の歩んで来た道のりを導いて下さいました。私は、心理状態をしっかりさせ、人心を刺激しないように、要点を絞って話すことさえすれば、真相を伝えることは迫害を減らすだけでなく、甚だしきに至っては迫害を制止することすらできます。同修たちよ、私たちはみな行動し始めましょう。師父が要求されたことに従い、真相を伝えて、迫害を制止しましょう。

 次元が限られており、不適当なところがあれば、ご指摘願います。

 (完)

 2009年4月14日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/28/197924.html