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河北省遷安市:法輪功修煉者・梁秀蘭さんがまた連行された

(明慧日本)河北省遷安市の法輪功修煉者・梁秀蘭さん(43歳女性、)は遷安市の漢方医院に勤務している。2009年4月1日ごろ、再度連行されたが詳しい状況は分かっていない。梁さんはかつて何度も連行されたことがあり、洗脳班や公安局で、スタンガンによる電気ショック、平手打ちなどの残虐な拷問で苦しめられた。

  2008年5月、梁さんは真相資料を配ったため、真相を知らない悪人に通報され、連行された。警官・浦永来は梁さんに憎々しげに言った、「お前を苦しめ、お前が死んでも自殺と見なし、私たちとは何の関係もない。むしろ私たちはそれを暴露してもらいたいほどだ。私たちがよく働いていると上司が分かってくれるからだ」 警官は梁さんの両手をそれぞれ二つの椅子の上で、手錠でしばりつけた。浦永来と別の警官がそれぞれスタンガンを持ち、もう1人が梁さんを動けないように押さえつけ、頭、足に関係なく、身体のあちこちに長時間電気ショックを加えた。何度も繰り返し、最後に浦永来は疲れて眠った。その時、梁さんの腕は手錠が深く食い込み、血が流れ、すでに腫れていた。

  2日目の午後、哈福龍はまた2人を連れて、梁秀蘭さんを処刑場に連れて行き、両手を後ろ手にして手錠をかけ、背中を上にし、その背中に椅子を乗せ、1人が椅子に座り、1人が押さえ、椅子に座っていた警官が梁さんの下半身、陰部、足の裏などに電気ショックを与え、他の警官は首、胸などを電撃した。梁さんは魚の鱗のように身体中に傷を負い、肩や腿のところどころが青紫になっていた。現在も足に黒い跡が残っている。梁さんを苦しめた後、哈福龍は大笑いして、他の警官とうれしそうにレストランで「今日のお祝い」をすると出て行った。

  梁さんはまた留置場に拘禁されたが、警官の迫害により、毎日、血圧が高く、頭がくらくらしていた。ある日、地面につまずいて転び、痙攣し、発熱した。警官はこれを見て、家に帰らせた。娘が迎えに来たとき、梁さんがまるで別人のように見えた。

  2008年9月24日の午後、河北省遷安市の警官はまっ昼間、梁さんの家の防犯用の鉄のドアをこじ開けて、不法に押し入り、4人の警官が梁さんを家から引っ張り出し、家宅捜索した。そして、梁さんを遷安市種子会社の洗脳班に送り、迫害した。梁さんは迫害に抗議するため、40日近く断食し、その後、遷安市漢方病院に送られた。そして、家に帰ることができた。

  ある日、身体が少し回復し梁さんが帰宅しようとした時、公安局の警官に連行された。警官は梁さんに聞いた、「あんたはどうやって電気ショックを加えられたかを明慧ネットに載せ、私たちが大笑いをしていることまで書いた(上の文書)」 梁さんは警官に聞いた、「私が言ったことが間違っているのですか? 少しでも間違っているところがありますか? 実際たくさんの悪事を働いておいて、まだ人に言われるのを怖がるのですか?」 警官は、「誰と誰に言った?」と聞いた。梁さんは「会った人には誰にでも言いました。あなたたちがどうやって私に電気ショックを加えたかを話し、あなたたちの悪事を話しました」と言った。警官らは何も言えず、最後、梁さんに聞いた、「今回はどうする? 留置場に送ろうか? それとも洗脳班か?」 梁さんは「どこへも行きません。家に帰るだけです」と言った。このようにして、梁さんは家に帰ることができた。

  身体が日々良くなっていくにつれて、出勤の準備をしていた梁秀蘭さんはまた連行された。もともと生活が苦しい家庭に、また災難がやってきて、家族は再度苦境に陥った(梁秀蘭さんの夫は脳血栓で仕事をすることができず、娘は高校に通っている)。

  2009年4月14日

(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2009/4/7/198533.html