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法輪功を修煉する人は本当に良い人(写真)

(明慧日本)世界規模の金融危機が津波のように襲いかかって来ており、現在、激しかった景気の上昇気流は急速に弱まってきている。就職市場の衰退により、失業と就職を待つ人口はどんどん増加している。このような環境の中でも法輪功修煉者は、真・善・忍の法理に導かれ本分を更にしっかりと守っている。しかも慈悲の心で、心身ともに困窮している人々を癒している。

沈クン進医師

沈歯科診療所の外に掛かる「法輪大法好」の看板

 2008年の晩秋、糸のような小雨がひっそりとした秋風を伴って台北の街頭と市中に降っていた。往来する通行人は無意識に襟をすくめて、寒風の中、少しでも暖かさを保とうとしていた。和平東路三段大通りの側に位置する「沈歯科診療所」のガラス扉がそっと押し開けられ、1人の40歳代位のやつれた中年男性が入って来た。そして、いささかはにかみながら「沈先生、私のこのセラミックの入れ歯が4本落ちているので、くっつくようにお願いできませんか?」と尋ねた。

 沈医師が検査した結果、3本の歯の根部はすでに切れており、1本しか残っていない歯の根部で4本の入れ歯をくっつけることは不可能で、作り直さなければならないと患者に説明した。患者はかすかに頭を下げ、「それは知っていますが、お金がないので、どうにかくっつくようにしてもらえませんか?」と返事をした。

 普通診察をする前には登録しなければならない。それに、歯医者の場合は入れ歯や歯をくっつける等の治療コースになると、先払いの制度になっている。しかし沈医師はその患者にただカルテに個人の基本情報だけを書き込ませて、すぐ診察のプロセスに入った。そして「もちろんくっつくように仕上げても構いません。しかしくっつけてからは気をつけて、なるべく門歯でものを咬まないようにすれば、少し長持ちするでしょう」と注意を促した。

 「法輪大法好」の看板を見て、やはり願い通りに助けを得ることができた。ひとまず入れ歯はくっつき、患者は、「いくらですか」と言った。そして正直に、「私は健康保険代すら払えないので、健康保険証は持っていないのです」と告白した。こうなると全額自費にならざるを得ない。ところが、陳医師は「それなら受付代として100元を払ってもらいましょう」と答えた。このとき患者は自分の耳を信じることができず、もう一度「沈先生、いくらとおっしゃったのですか?」と尋ねた。沈医師は丁寧に「100元の受付代だけでよろしい。どうせあなたは健康保険証を持っていませんから」と言った。

 こらえきれず涙が赤い目の縁にこぼれ落ちた患者は「沈先生。正直、私は今日無理に入って来たのです。この入れ歯の治療を10数人の歯医者が拒み続けてきました。誰一人くっつくようにしてくれず、いずれも作り直さなければならないと言いました。私はその中の1人の医者にあれこれ説得すると、ようやくくっつくようにすると言ってくれました。しかし、1千2百元の費用がかかるというので、諦めるほかありませんでした」と漏らした。

 患者は深く感謝の気持ちを込めて「今日私は妻と向こう側の郵便局の前を通っている時、頭をあげて『法輪大法好』の字を見たのです。妻は、この医者は法輪功を煉っている人だから、手伝ってくれるかもしれないと言って、私に訪ねるよう促しました。実を言うと、私はやはり入る勇気がなく、妻が絶えず励ますので、やっと無理に入って来たのです」と言った。

 法輪功は想像よりずっと良いものだった

 それから患者は隣の薬局から風邪のシロップを1本買って来て、自分は軽く風邪を引いていたが、お金がないから病院や薬局へ行くのをずっと我慢していたと言った。彼は面識もない医者に 、既にしばらくの間失業していて、以来妻が漫画を描くことによるわずかな収入に頼って過ごしていることを話した。一時期は生活の意志すら失うことがあったが、今日ようやく風邪のシロップを買うお金を捻出することができたと漏らした。他にも色々と話した。沈医師は彼に落胆しないで、まず身体によく配慮してから、良い仕事を探すようにと励ました。そして夫婦が共に法輪功を修煉することを歓迎し、彼らが心身ともに健康になるように願った。

 この患者は帰る時、先生に向って深くお辞儀をし「沈先生。貴方達法輪功を修煉している人は本当に良い人です。法輪功は私の想像よりずっと良いものでした」と表した。

 万事は至る所で人となりや考え、本当のやさしい心が現れる

 こうしたことは、もしかすると人に不可解に思われるかも知れない。千元余りの費用さえ気にかけないのだから、どうしてまたその百元の受付代を受け取ったのだろう。沈医師はここで少し前に読んだ一篇の文章を思い出した。その文章の作者は国外にいる間、ある日最終のバスに乗ろうと急いでおり、手に提げていた1袋のリンゴをうっかり落として散らばってしまった。駅でチューインガムを売っていた小さい女の子が急いで拾うのを手伝ってくれた。彼の心の中はとても感謝で一杯になり、拾い終えると米ドル1元を取り出してその女の子に感謝の意を表そうとした。しかし、思わず女の子は目を見張ってふくらんだ顔を赤くしながら、そのお金を彼に返して逃げて行ってしまった。作者は非常に恥ずかしく思って、たちまち人を侮辱したことを体得した。人を助けることは善の心であって、その女の子はただ人間の本能でリンゴを拾うのを助けただけだ。相手が1元ドルを取り出して彼女に渡そうとした行為は、人を傷つけることになり、人間の持つ元来の善を侮辱したことになる。

 沈医師は、李洪志先生は私たちに万事は至る所にすべて他人のために考えなければならないことを次のように教えられたと言う。「問題が起きた時はいつも他人がそれに耐えられるかどうか、他人を傷つけることはないかを考えていれば、何の問題も起こりません。したがって、煉功にあたっては、高い、もっと高い基準で自分を律しなければなりません」(『轉法輪』) 沈医師は、相手に困難があったことは仕方のないことで、自分は彼を助けるとはちっとも思っておらず、ごく自然にこのようになったのだ。もしいかなる費用も取らないとすれば、相手に恵みを与えることになり、人の自尊心を傷つける上、相手に一種の圧力をもたらすかもしれない。まして修煉者は失わないものは得られずとの法理を熟知しているので、更に相手に自分に「人情の借りができる」心理的な負担をかけさせることはできない。幸いこの件の治療費用の合理性は私の独断で判断することができるから、相手は既に料金を払っており、その金額がいくらかに関わらず、少なくとも彼は払うことができた。このことによって、胸を張って診療所をあとにすることができ、相手にとって一種の善を施したと言うことができると表した。

 2009年4月15日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/3/28/197899.html