日本明慧
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師父の大慈悲を実感


文/中国大陸大法弟子

(明慧日本)私は体育の教師で、今年48歳です。大学在学中には、スポーツの健康促進効果を生かしてフィットネスの考案に専念したい、という夢がありました。しかし、卒業後、自分の健康状態が芳しくない上、同僚の間でも名利のために互いに争い、手段を選ばず罵っており、時には殴り合いになりました。このような環境において、私は命の意義を考え始めました。私たちが生まれたのは何のためなのか?どうすれば正しいのか?名と利を争わなければ、損を蒙ることになります。長く迷い困惑した末、損を蒙る生き様を決めました。回りの人々と同様な生き方をしたくないからです。病気を取り除くにはあまり効用がないと、そのときから、フィットネスへの熱意もなくなりました。

 80年代半ばは、気功が盛んに流行っていた時期でした。その病気を治し健康を得る効用を、身をもって体験したい一心で、気功を習おうとしました。もし、本物ならば、人々に推進していこうと決めていたのです。しかし、習い始めて数年経過しても、あまり効果が得られませんでした。その一方で、仏道は本物であると固く信じるようになり、仏道の経典を探してきて、経を暗記し始めました。そして、法輪功に出会いました。そのとき、法輪大法こそ自分が探し求め続けていた、真の道、真の法ではないか、とぱっと目が覚めました。以前、自分が決めていた人生の道も、まさに大法の「真・善・忍」に符合しています。そう思うと、心はようやく落ち着きました。やっと真理を見つけて、私は最後まで修煉を堅持しようと決心しました。

 1996年6月、私は法輪功を修煉し始めました。師父の広州での説法の映像ビデオをみたときに、まだ見終わっていないのに、お腹の中がグルグルと音を発しながら回転しだしたと感じ、そして、下痢をし始めました。まもなく、9年間も患った便秘が治り、十代のときのように便通がよくなり、とても気分爽快です。長年失っていた感覚が戻ってきました。また、便秘による痔も治りました。この朗報を母に告げると、母も法輪功を修煉し始めました。そして、カトリック教を信仰する父も、弟嫁も、弟も相次ぎ法輪功を修煉し始めました。同僚も私の目覚しい外観の変化にびっくりして、あなたの煉功はほんとうに効果があるよ、顔のシミも消えたよ、などと口を揃えて言いました。師父!弟子のために体を浄化してくださいまして、深く感謝しています。

 煉功してからまもなく、私は20数日間高熱が続き、消業に遇いました。時に、熱が40度に達しましたが、一日も仕事を休まずに、家事もいつも通りにこなしました。修煉していない夫は、私が熱を出していることに気づきませんでした。頭がとても痛い上、全身が痛く、手と足の指の関節が皆とても痛かったのです。毎日早朝、煉功に出かけるとき、ベッドから降りると足指の関節に激痛を覚え、煉功点まで歩くと痛みも治まりました。熱が消えた直後、脊椎の下部の仙椎部分は空いており、まるで上下が繋がっていないようでした。2日後、その状況は消え、上下は一体となりました。

 1993年から1995年、勤務先が3年連続で婦人科の集団検診を行いました。私の子宮が腫れていることが判明して、B超音波検査を行った結果、年々大きくなっていたことがわかり、しかも、頻繁に不正出血していました。1996年、法輪功修煉を始めたその年、私は検診に参加しなかったのですが、不正出血も消えました。1997年検診のとき、医者もB超音波検査を勧めませんでした。恐らく、子宮筋腫も煉功により消えたのでしょう。

 1997年5月、私は学生の実習を引率しました。学校は、学生宿舎からかなり離れたところに私の部屋を用意しました。ある日の朝、インスタントラーメンを食べ、最後の一口を飲み込むときに、のどに異物があると感じました、ラーメンを飲み込めていないと思い、ひたすら飲み込もうとしましたが、だめでした。水を飲みましたが、依然、異物が残り、しかも、どんどん大きくなっていると感じました。硬いものを食べてのどを傷つけた訳でもないのに、なぜ、そうなったのか。異物が気になればなるほど飲み込みたいのに、しかし、飲み込もうとすればするほど大きくなっていると感じました。私は怖くなってきました。母から聞いたことですが、のどにこのような物ができたら、息が詰まって死んでしまうというのです。

  しかも、その物の成長スピードがとても速いので、忽ち気管を完全に塞いでしまいそうでした。私はますます怖くなり、しかも咳も止まらなくなり、呼吸も困難になりました。ここで死んだら、誰にも分からないと思い、学生宿舎に行こうとしました。そのときに、ふっと思いつきました。私は修煉者であるのに、何を恐れているのか?師父が守ってくださっていると思い、『転法輪』を取り出して、師父の写真のページを見て「師父、さきほど、私は間違ってしまいました。自分は病気であると思ったために、怖くなりました。いま、私は分かっています。師父が私のために業を取り除いておられるのです。師父、今日、私のこの命を師父に預けます。どこにもいきません。」と師父に話しました。

  その後、私は落ち着いてソファに座りました。しばらくして、のどに変化が現れ、その異物はゆっくりと食道に沿って下へ流れていくのが分かりました。体感では杏の種の大きさで、流れる先々で痛みを感じました。胃に入ったときに痛みを感じなくなり、のどと食道の痛みは残りましたが、数日後に治まりました。これは私の命を取りに来た仇討ちではないでしょうか。師父は弟子のために一つの命を償い、この災難を消してくださいました。

 20数年前の高校生のときに、私の左足を捻挫したので、雨の日になると痛みます。後に、足の甲には膨れが出て、クルミ半分の大きさでした。法輪功修煉を始める前には、すでに神経を圧迫しており、第2、第3の足指は痛かったのです。長年来の習慣ですが、毎日無意識にこの膨れに触っています。ある日、その塊が消えたと突然気づきました。再三触って、再三確認してみましたが、本当に消えたのです。私はとてもうれしかったのです。夫に見せ、姑に見せて、弟の家に行って、弟に見せ、弟嫁に見せ、煉功点の同修たちに見せ、この功は真に素晴らしいと絶えず称賛しました。この膨れは徐々に消えたのではなく、突然に消えたのです。

  しかし、翌日にその膨れは再び出ました、以前の大きさです。私はふっと分かりました。自分は歓喜心、顕示心が生じたために、この物はこの隙を狙って戻ってきたのだと。だから、私は誰にもこのことを言わずに、必ず突然消えると信じました。案の定、数カ月後に消失し、いまに至っています。また、大学在学中に運動による損傷が残り、両ひざが痛めつけられ、階段を上るときには痛かったのです。それも今は治りました。師父の説法ビデオで挙げられたある例を思い出しました。一枚の布の下に物を置けば、布は必ず突起する。この物を取り除けば、布は平らになる、とのことです。いま、膨れがなくなったのは、師父が深層の別空間に存在する業力を消去してくださったからです。

 2001年元旦、私は天安門広場に行き、法輪功の無実を訴える横断幕を掲げました。その場で、違法逮捕され北京市海淀区留置所に監禁されました。取調べの際に、女性の警官は私に暴力を振るうことなく、何をしにきたのかと聞くだけでした。私は理由と大法の真相を全部彼女に話しました。同じ部屋にいた若い男性の同修が、警官に激しく暴行され、スタンガンで電撃されていました。まもなくスタンガンが作動しなくなり、困り果てた2人の警官が私の身で試してみると言い出しました。当時、発正念をまだ知らず、師父の保護があると知っているので恐れはなかったのです。スタンガンは私の手に触れても、反応はなかったのです。ただ、すこし痺れを感じました。しかし、2つのスタンガンを合わせると火花が散っていたので、2人の警官は訳が分からずこの場を去りました。

 後に、強制労働収容所に違法監禁されました。そこの環境は非常に邪悪である上、取り除かれていない人心につられて、私は法輪功修煉をやめると同意しました。2006年7月、同修たちに助けられて大法修煉に戻りました。初めは、夜12時の発正念のときはいつも起きられませんでした。7月のある日、真夏の夜、熟睡中に枕がトントンと敲かれる音に目が覚めました。枕に竹シーツを敷いていたので、音は結構強かったのです。あたりを見ると誰もおらず、時計はちょうど12時でした。師父が私を起こしておられたのです。すぐさま起きて発正念をしました。また、あるときに、熟睡中にだれかが私の足元の蚊帳を引っ張っていると感じ、ぱっと起きたら誰もおらず、夫は眠っていました。時計をみると12時前でした。本当に申し訳なかったです。師父が私たちに無限の慈悲を注ぎ、見守ってくださっていることは、言葉で形容できません。

 真相を伝え、衆生を救い済度し、心性を向上させる面において、まだたくさんの実体験があります。ここに上記の数例だけをもって大法の素晴らしさを実証します。師父が時々刻々私たちを見守っておられることと、私たちの心が大法に準じているのであれば、師父は必ず私たちを助けてくださること、そして、師父が私たちの身辺におられることが実証されました。私たちが師父と大法を信じさえすれば、大法の奇跡が必ず私たちの身に現れ、師父のこの上限りない威徳と大法の力は必ず顕現します。 

  2009年4月16日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/4/14/198946.html