韓立国さん、孫倩さんが瀋陽刑務所で殺された情況の補足
(明慧日本)遼寧省瀋陽刑務所城の第2刑務所の迫害により、凌源の法輪功修煉者・韓立国さん、撫順の法輪功修煉者・孫倩さんは相前後して死亡した。撫順の法輪功修煉者・孫永勝さんは残虐に迫害され続けている。
韓立国さん(48歳前後)は、凌源鉄鋼会社の従業員で、作業中にやけどをして、それから法輪功を修煉し始め、半年で全快し、工場のために数万元の医療費を節約した。中国共産党が法輪功を迫害し始めてから、不法に瀋陽第2刑務所の第20監禁ブロックに拘禁され、2004年8月20日に迫害により死亡。彼の妻は不法に遼寧女子刑務所に拘禁されている。
2004年7月初めの土曜日午前9時ごろ、瀋陽第2刑務所の大20監禁ブロック(法輪功修煉者を監禁するためのブロック)で誰かが韓立国さんに、大隊長がお呼びだと言った。大隊長の李建国は残酷な人間で、韓立国さんは行ったまま戻って来ることはなかった。長い間過ぎて受刑者の口から、彼がすでに死んだことを知ったが、どのように死んだのかは誰も知らない。
これまで、韓立国さんの娘は何度か見舞いに来たが、李建国はいずれも会うことを許さなかった。韓立国さんはちょうど働き盛りで、身体は丈夫で、病気も一切なく、どうしてそのまま死んだのか誰も知ることができなかった。ただ李建国とその共犯者だけが知っている(情報によると同日、2人の法輪功修煉者がわけもなく死亡、もう1人の名前は不明)。
孫倩さん(33歳男性、未婚)は瀋陽刑務所城の第2刑務所の第20監禁ブロックに不法に拘禁された。孫倩さんは法輪功の修煉を堅持したため、2003年末に「厳管施設」に監禁された。2004年に再度労働を拒絶したため、再び特別監禁の処罰を科された。ある日、刑務所側は健康診断で孫倩さんの肺部に陰があると言ったが、孫倩さんは自分の身体にはちっとも異変がなく、まったく気分が悪くなった感じはしないと言った。その後に彼は病院に送られ、間もなく病院で死亡した。監禁ブロック長の李建国は家族の面会を許さず、2005年3月に孫倩さんがもう先がない時にやっと母親と面会させ、その夜に孫倩さんは死亡した。
孫永勝さん(28歳前後の男性、未婚)は撫順留置場に拘禁された時に、股を180度に開くことを強引に強いられ、足がかなりひどく腫れた。このような迫害は傷跡が残らないため、撫順刑務所の中で、多くの法輪功修煉者が同じような迫害を受けた。孫永勝さんは股を180度に開くことを強いられてから、表面に傷跡は見られないが、しかし足は歩くことができず、何カ月も壁を支えて歩くようにして、ようやく好転した。
それから、孫永勝さんは瀋陽刑務所城の第2刑務所に移送された。そこに拘禁された法輪功修煉者は、孫永勝さんを含めて何人も疥癬が発症した。2005年春から数カ月にわたって、刑務所の食事のおかずは臭くて、時には野菜のスープが黒っぽく、多くの人が吐いたり下痢をしたりした(廃油を使った説がある)。瀋陽第2刑務所の中には売店があるが、中の商品は極めて高く、法輪功修煉者は月に1回だけ買い物が許されている。
孫永勝さんは迫害を認めず、奴隷のような苦役を拒んだため、監禁ブロック側は彼を「厳管施設」に閉じ込めた。堅持する法輪功修煉者はすべてこの「厳管施設」に入れられており、1日2食で、それぞれトウモロコシの粥と漬け物しかなかった。孫永勝さんはそこで一度断食をしたことがあり、命の危険に陥っていた。
2006年6月7日、孫永勝さんは第6監禁ブロックに移された。大隊長の邸強(40代)は、積極的に中国共産党による法輪功修煉者の迫害に加担した。9月中旬、孫永勝さんは体調が悪いので休むように休暇を取ったが、邸強は許さず、4人の一般の受刑者に孫さんを担がせ、労働を強制した。2人が腕をぐっと引っ張って、もう2人は足を挙げて、監房から作業場まで担いだ。 孫永勝さんはちょうど作業を終えた夜勤の人達に向って、「法輪大法好、真善忍好」と大声で叫んだ。邸強は受刑者らに、「あいつがもう一度叫んだら口を塞げ」と指示を下した。
2006年10月、孫永勝さんは第8監禁ブロックに移送された。大隊長のチャン暁峰(40代)は、引き続き孫永勝さんに労働させるように、生産隊長の荊濤に指図した。
孫永勝さんの両親は撫順から面会に来て、時には朝から晩まで待ってやっと面会ができ、ときには高額の食事をして初めて面会できると言われ、往々にして食事代を払ったばかりなのに、そこにいる警官に「もう時間だ、早く出て行け」と催促され、結局一言も話せないまま追い払われた。
瀋陽の刑務所はおよそ28の監禁ブロックがあり、それぞれが大隊長から管理を請負っており、請負人は個人の利益のために、服役中の人に昼夜休まず働かせている。拘禁された一般の刑事犯も重任を担えないため、自殺が頻発しているという。
2009年4月16日
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2008/12/31/192574.html)
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