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「新しい経文は出ましたか」という考えについて


文/河北省の大法弟子

(明慧日本)毎回資料を取りに来る時、同修はいつもこう言います。「新しい経文は出ましたか?」また「師父はもう1年近く法会で説法しておられません。私たちを見てとても焦って、何もおっしゃりたくないのではないでしょうか?」

 実を言うと、私も同じ考えをしていました。みんなと一緒で、新しい経文、新しい法理で私たちの心を奮起させ、励ましてくださることを期待していました。しかし、これは完全に常人の考えでしか、師父と宇宙の正法の大きな変化を捉えていません!

 しかし、今日、師父の説法を読むとき、法会の終りに師父の思いやりのある言葉を私は深く体感しました。師父は次のように言われました。「私に会えても、会えなくても、大法弟子が行うべきことが影響されないようにしてほしいのです。しかも、更に良く行うべきです。実は、本当に私に会えなくても、更に良く行うことができれば、それこそ素晴らしいことです」(『2004年ワシントンDC法会での説法』)師父はまた次のようにも言われました。「皆さんの圓満成就を考えると、やはりあまり会わないほうが良いのです。ですから、あまり皆さんに会いに来ていません。いずれにせよ、私はほかでもなく、威徳を樹立する機会を皆さんに残したいのです」(『2004年ワシントンDC法会での説法』)

 特に師父が言われた「実は、本当に私に会えなくても、更に良く行うことができれば、それこそ素晴らしいことです。」という言葉はいつまでも私の耳に残っています。そうです! 師父は私たちにもっと素晴らしい威徳を樹立させるために、普段私たちと顔を合わさず、新しい経文を発表なさらないのです。私たちが師父が何か新しい経文を発表されることに執着しないようにしておられるのです。師父は完全に私たちの圓満成就を考えておられるのです。私たちはなぜ師父の心配りを理解しないのですか? 実際、師父が修煉者に警告なさることはすでに説法の中にはっきりと書いておられるのです。ただ修煉者が悟らないだけで、何度も師父を理解し、感じ取り、大法に同化するという機会を逃しています。

 最後に師父のある段落の法を共に学びましょう。「大法というこれほど大きな法、法を正すというこれほど由々しき一大事、このこと自体は既に皆さんを非常に高く際立たせたのです。しかも、法を正す中で皆さんが行った全てはきっと最も偉大なことです。なぜならば、歴史までこのことのために造られたからです。ですから、皆さんはできるだけ大法弟子が行うべきことを良く行い、どんなことも非常に重要なのです。良く行うようにと私が皆さんに教えた三つのことも皆さんがしっかり行うべきです。圓満成就するまでこれらのことを良く行うべきです。あなたの威徳、あなたの未来の全てはこれらのことから生じるのです」(『2004年ワシントンDC法会での説法』) 

 この段落を10回読んでも、まだ新しい経文が欲しいと執着するのですか? 師父は私たちに三つのことをしっかりと行うことを、この上なくはっきりと言われました。その上、私たちは何を求めるのですか? 師父がすでに説法されたことに従って、どのぐらい理解し、行っているのですか? 皆さん! たくさん法を学び、完全に自分を法の中に溶け込ませ、三つのことをしっかりと行い、師父に少しでも心配をかけないようにしましょう!

 個人的な悟りですので、間違ったところがあれば指摘をお願いします。

  2009年4月17日

(中国語:http://search.minghui.org/mh/articles/2009/4/16/198989.html