悔いのない路(一) 文/葫芦島市辺鄙な山岳地帯の大法弟子・民心
(明慧日本)私は1999年の正月に法輪功の修煉を始めました。それでは、この十年来の修煉体験について同修と交流したいと思います。
私は修煉を始めて3日後に、持病の目の痛みが治りました。4日目に煉功場で学法し終えた後、家に戻って少し時間があったので、続けて学法しようと思いました。本を開いた私は、一文字も読めないではありませんか。本を閉じた私は思わず涙がポロポロと落ちてきました。その夜、私は寝ているようでまだ熟睡していないとき、師父が我が家に来てくださり、オンドルの上に座り、私の手を取り、字の読み方を教えてくださったのです。師父は帰られるときに、「よく本を読み、よく学法することです」と6回もおっしゃって下さったのです。師父が励ましてくださっていると悟り、そこから、一生懸命に学び始め、同修の協力もあってわずかな期間で『転法輪』を通読できるようになったのです。
学法し始めてから7、8日経ったころ、慈悲なる師父が私の持病の気管支炎、リューマチ、胃炎などの病気を取り除いてくださったのです。そして、今まで拝んでいた狐やイタチの位牌を焼き捨てたのです。それから、魔に妨害され始めました。オンドルの上には一組の人間でもなければ鬼でも無いような容貌したものが立っており、時には地面に立ち、時には窓の外に立ち、時には白い服を着ており、時には黒い服を着ていて、長い髪を振り乱し、舌を伸ばし、私の首を絞めようとするものがいれば、刀で私を殺そうとするものもいて、窓の外で私を驚かそうとするなどの行為を働きました。恐怖を感じた私は煉功を打ち切り、布団に潜ったのです。その夜、師父の法身が来てくださいました。私に「目を閉じてごらん、他の場所に連れ行ってあげましょう」とおしゃってくださいました。師父が私を静かな他の空間へ連れて行ってくださり、師父が「目を開けてごらん、ここなら誰にも邪魔されませんよ」とおっしゃったのです。
3ヶ月経ったときのある日、実家の兄から電話があり、父が病気になったので直ぐ帰るようにと言われました。私は車に酔いやすく、いつも乗車する前は必ず薬を飲んでから車に乗っていましたが、この度は薬を買う時間もなく、急いでバスに乗りました。椅子に座ると師父の法身も一緒に座ってくださったのです。道中は車に酔ったような感じがなく、とても気分爽やかでした。
バス停には弟が迎えに来ました。歩きながら弟は「姉さん、なぜだがいつもより歩くのが速いですね、付いていけないよ」と言われたのです。そうですね、私は誰かに押されているような感じで歩いているのです。
実家に到着したとき、早速と自分が修煉し始めてからの変化を皆さんに伝えたのです。母が「今日は車に酔っていなかったようね? 状態もいいわね」と話しました。私は「大法のおかげで、すべての病気が治りました。『転法輪』を持ってきたから、毎日、母さんに読み聞かせてあげるからね」と言うと、母が「母さんはこの数日は薬を飲んでいないし、体の状態はとてもいい、家族の皆が大法は素晴らしいと思っているよ」と嬉しそうな顔で言いました。
我が家に戻ると、姑が「あなたがいない間、親子二人が仕事に出かけ、子供の叔母がドアの鍵をこじ開け、数日前に売却したトウモロコシの代金270元あまりを私の目の前で持ち逃げしたのです」と教えてくれました。盗み聞きしていたこどもの叔母が、意気よく突進して来て、叫びながら喧嘩を仕掛けてきたのです。私は殴られた上、服も破れてしまいました。それでも気がすまず、ナイフを持ち出し、私を殺そうとしていたのです。隣の人が止めに入ったのですが、止めることができず、今度は石を持ち上げて振りかかろうとするのです。3日間も罵られ続けたのです。私はこの問題に関しては、自分は修煉者だから、「真・善・忍」に基づいて自分を律し、殴られても殴り返さず、罵られても仕返さない、常人と同じように対処してはならないと思ったので、この事は大きくならずにすんだのです。
以前も一つの出来事がありました。それは、私は子供の叔母から200元を借りました。早い時期にその借金を返済しました。返済したときはその場に彼女の二人の子供がいました。2ヶ月あまり経ってから、彼女がお金を返していないと言い出しました。いつ返した、その場に彼女の子供もいた、と話しましたが、納得してもらえず、もう一度返すよう攻められていたのです。お金を貯めて再度返し行ったとき、「私は法輪功修煉者なので200元を余分に返すのですが、以前の私であれば2元も余分に返さないでしょう」と言いました。
(続く)
2009年4月17日
(中国語:http://www.minghui.ca/mh/articles/2009/4/4/198351.html)
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