日本明慧
■印刷版   

法を学ぶことと心を修めることについて

(明慧日本)私はかつて法を学ぶことを重んじていました。1999年7.20以前、私は師父の五つの著書『転法輪』、『転法輪(巻二)』、『法輪大法義解』、『精進要旨』、『洪吟』及び師父が当時発表されたあらゆる経文をよく暗記しました。暗記して読むほうが、本を持って読むより速い程でした。私が法を暗記する速度は確かに速かったのです。少し短い経文は普通2、3時間で暗記できました。「病業」、「佛法と佛教」等の経文は暗記する時に苦労して、一日ぐらいかかりました。当時の法を学ぶ状態は確かに良かったのです。座って暗記を始めるとすぐ2、3時間が過ぎました。時には法を暗記する時、夢中になって身体の存在を感じず、全身が厖大なエネルギー場に覆われた感じがしていました。師父は、法を習って向上したとき、身体が一瞬震動したと感じる人もいれば一種の感動のような感覚がある人もいるとお話なさいましたが、私はそんな感覚を常に感じることができました。

 法を多く暗記したので、私は肝心なところで大きな作用を発揮することができました。7.20以後、邪悪が法を迫害してから、私は北京へ直訴に行きました。刑務所に40日あまり拘禁されても、私は刑務所で毎日学法をしました。一日に3講の『転法輪』を午前、午後、夜各々1講ずつ暗記し、経文と『洪吟』も暗記しました。監禁中、私は『転法輪』を10遍暗記しました。その後、邪悪は私を転向させるために空いている牢屋に拘禁しました。中にはベット、椅子もなく地面には厚く土が敷いてありました。2000年の晩秋でしたので、天気も寒くなってきていました。窓の縁には私の食物の饅頭、一杯の水、漬物が置いてありました。私は食べ物に目もくれず、断食で違法な拘禁に抗議しました。私は一日中ずっと本を暗記していました。眠くなれば少し壁に寄り掛かって一睡して、目が覚めたら続けて本を暗記しました。一日一遍、断食した5日間で5遍の『転法輪』を暗記しました。この5日間、私は一滴の水も飲まず、一粒の穀物も食べませんでした。しかし、少しもお腹が空いた感じはなく、辛い感じもありませんでした。頭脳は明確で精神も良くなり、表面的には少しやつれたように見えただけでした。本を暗記したことにより、これほど厳酷な形勢を歩みきることができました。

 私は法を多く暗記はしましたが、どう修煉するのかが分かっていませんでした。法で自分を律しないため、心性の向上も非常に遅かったのです。さらに法を学ぶ態度も正しくなく、自分の向上に大きな影響をもたらしました。突出した表れは、以下の幾つかの方面においてです。

 一、私は知識を探求することに強烈な心を抱いており、高い法理を探求したい一心で法を習いました。法の中で高い法理を悟ろうとしましたが、最も肝心な心性の向上をおろそかにしていました。当時、法の中で確かに高い法理を悟りましたが、得意になっており、独善的でした。

 二、法を学ぶ態度が間違っていました。とりわけ集団学法をする時「私は法をこんなに良く学びましたよ。こんなによく暗記しましたよ」といった強烈な顕示心理がありました。自分もこの顕示心理を認識していましたが、抑制することができませんでした。時には有為無為に表現され、私の修煉を厳しく邪魔しました。私は向上するために暗記したのではなく、法を暗記するために暗記し、顕示するために暗記しました。目的が違っているので、これは雲泥の差でした。

 三、私は常に法で自分の修煉を指導しておらず、法に基づいて自分の心性の向上を指導せず、法を理論として学んでいました。人為的に学法と修煉を分けていました。問題に遭ったとき、法に照らして考えるのではなく、自分の観念で考えました。多くの場合、師父ははっきり悟らせましたが、自分は認めず、心から弁解していました。私の今の状況は本で説かれた法の状況と違っており、同じことではないと言い聞かせていました。本当に頑迷でした。

 四、法が私により高く要求したとき、自分は認識できず、前に向かって一歩踏み出すことができませんでした。

 五、師父と法を尊敬する心が少なかったのです。法を暗記する時、常に椅子に寄り掛かり、甚だしくは少し便利な姿勢をとるために両足をテーブルの上に置いたこともありました。本当に話にならないことです。

 六、ある段落は正確に暗記していないと自分でも分かっていながら、ずっと直しませんでした。実は法を正しく暗記できなかった部分は自分が向上しなければならない部分であったのですが、惰性があって直しませんでした。私は本をよく勉強しましたが、修煉はよくできていませんでした。多くの執着心を取り除かず、多くの悪い癖を直せなくて、関を乗り越えられず、転びました。私は表面的には心性を向上させることとの重要さを理解していますが、真にどのように向上させるかを理解していませんでした。師父はすでに威力この上ない大法を私たちに伝えてくださいましたが、私は法で自分の修煉を指導していませんでした。私は『転法輪』で「悟」の部分を暗記する時が一番難しかったのです。暗記してもすぐ忘れてしまい、繰り返し十数回暗記しました。実は師父が私に悟性を高めるように悟らせて下さっていたのですが、私は認識できず、悟性が上がってきませんでした。

 私は心性を着実に修めていないから、長年精進できず、人の一面に執着していました。邪悪の私に対する妨害も多かったのです。自分の正念が強くないため、邪悪に影響されました。邪悪は私が法と接触することを阻み、法を得た一面と隔てさせました。大法が私の心の底に根を下ろしており、私が死んでも法を離したり、背反したりすることをしないと邪悪も分かっていました。私を意気消沈させ、自暴自棄にし、思い通りにならないようにさせました。同修も私の状態に焦り、何度も私に注意しました。私は今、修煉の厳粛性を奥深く体験しています。修煉に少し問題があっただけでも法に照らして自分を見て、法が要求したことを私は努力して行い、困難を克服してまで行いました。私は法でできないことは何もないということを深く体験しました。観念が変わると向上ができ、法の威力も表せました。師父が説かれた法は全てを包括しており、いかなる環境でも、いかなる問題に遭っても全部指導作用があります。あなたが本当に行い、法の要求に到達すればできないことはありません。本当に「柳暗花明又一村」で、「行ない難きも行ないうる」のです。今は法を学ぶ態度を正しくし、一切の観念を放下し、真剣に法を学んで、自分を完全に法に同化するようにしています。再び人の考えをもって法を量ることはしません。私は師父が説かれたすべてを信じており、法に対して一切の疑いもなく、認識した悪い点は、直ちに見直し、法と自分に責任を持って法を実証します。

  私は今、昔暗記した法をもう一回暗記しています。私は今、毎日『転法輪』を暗記することを堅持し、幾つかの段落を暗記してから、また戻って本と照らして読んでいます。一つの文字も見逃しません。これにより一講は2遍勉強することになりました。余裕のある時間は師父の他の法を学習しています。私は12時に発正念をする前まで法を勉強しており、『転法輪』を暗記してから、師父の他の経文を見たら、効果が非常に良くなりました。何の雑念もなく、頭はずっとはっきりし、一字一句が全部心に入っていきました。現在、法を実証し衆生を救う任務が重くて、時間が足りないのですが、私は時間が取れて、師父の「7.20」以降の経文を暗記しようとしています。

 とりわけ法を実証する時、困難に遭った時、邪悪に妨害された時、人の思想と観念が反映した時、私はもっと努力して法を学び、法を暗記して邪魔を排斥します。こんな時は法を暗記することが非常に難しく、雑念に中断され、暗記し続けることができません。私が努力して堅持し、心が次第に落ち着いてから法を暗記することも順調になります。私は邪魔と雑念が消えているのを感じ、知らないうちに向上していきました。

 これは私個人の浅い悟りですので、間違ったところがあれば同修達の慈悲なる指摘をお願いします。

 2009年4月18日

(中国語:http://minghui.ca/mh/articles/2009/4/9/198648.html